進撃の巨人・自由論

わたしは自由であるか。自由とは何なのか。深堀りすれば自由の謎が解けるマンガもあるかもしれない。

0.7.a 実存的自由の群像劇 (上) ~ 自由の哲学入門書として読む『進撃の巨人』

 

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『進撃』の自由観の転換

あなた、 言いましたよね? 『進撃』世界の自由観は「積極的自由」なんだって。

エレンの「オレたちは生まれた時から自由」は『進撃』流の「人間賛歌ッ!!」なんだって。

そのはずが、舌の根もかわかぬうちに、エレンの自由は実存的自由って、どういうこと?

しかも実存としての自由は、人間の本質としての自由、「人間賛歌ッ!!」としての自由観とは対立するんですよね?

それじゃ、あなたの言っていることが矛盾しているってことに、なりはしませんでしょうか?

口から出まかせにも、程が過ぎるんじゃありませんこと?

 

はい、こういうツッコミが来るだろうことは、よーく承知しております。

でも、この作品はそういう作品なんです。

まず積極的自由の理想が高く掲げられます。

この理想に鼓舞されて、悪戦苦闘を潜り抜け、エレンたちは自由に近づくのです。

でも結局、この理想(その光の部分)は、はかなく消え去ってしまいます。

極限状況のなかで、エレンは、そして仲間たちは、それでも自由でいないことはできない選ばないことはできない

こうして『進撃』の物語の基調は、誇り高くもグロテスクな「積極的自由の英雄譚」から、いわば「実存的自由の群像劇」へとシフトしていくのです。

 

本作における自由観の転換を集約的に表現しているのは、ヴィリー・タイバーのセリフです。

彼は言いました。「私は死にたくありません それは... わたしがこの世に生まれてきてしまったからです」と。

これを聞いて、目を見開かされるエレン。彼が驚くのは、この言葉が、この時点のエレン自身を駆り立てる理由であるからです。  

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100話「宣戦布告」

 

このセリフもまた、人間はみな生まれながらに自由であるという宣言に聞こえるかもしれません。

それはそうなのですが、しかしこれは、かつてのエレンの「オレたちは生まれた時から自由」とは決定的に違うのです。 

この違いを明らかにするために、本作の基調をなす自由観の変化を辿ってみましょう。

 

世界の真実を知るための戦い

エレンが自由をわがこととして知ったのは、壁の外の世界を見たいというアルミンの夢に感化され、自分は壁外の不可解な脅威のせいで自由を奪われているのだ、と自覚したときでした(0.2)。

このとき以来、エレンは自由を奪う存在への強烈な怒りを抱きつづけます。

ミカサを拉致した人身売買業者を刺殺してしまうほどの怒りを(6話)。

この怒りは、彼が10歳のときにウォールマリアが破壊され、母カルラが巨人に食い殺されたことにより、「巨人を駆逐する」という強烈な目的意識に置き換えられます(1話)。

巨人と戦い、自由を奪還する。これが哲学的には「積極的自由」の追求であるということは、すでに論じました。

 

壁外の巨人との戦いが続くあいだ、エレンの目的はシンプルに、巨人との戦い=自由の奪還でした。

しかし、彼が属する調査兵団は、少なくともその指導者エルヴィンは、たんに巨人と戦うだけでなく、壁内人類が知らない世界の真実を明らかにすることを目指していたのです。

エルヴィンは鋭く洞察します。

エレンの存在は、知性ある巨人、つまり人間である巨人が、他にもいることを意味する。

たとえば、意図的に壁を破壊した巨人たちがそうだろう。

トロスト区での超大型の出現のタイミングを考えると、巨人になれる人間たちが兵団組織のなかに紛れ込んでいる疑いがある。

エレンは恐らく彼らにとっても想定外の存在。だとすれば、彼らはエレンを放っておくだろうか。

ここまでのことをエルヴィンは、104期生加入後初の壁外調査(実は女型の巨人捕獲作戦)までには推察していたのです。  

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20話「特別作戦班」

 

そしてこの人もですね、ハンジさん。 

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巨人博士のハンジさんは、ただの奇特な巨人オタクではなく、壁内人類が自由を奪還するためには、巨人そのものを理解する必要があると考えているのです。

知ることこそが、戦いの要になると信じているのです。

(ところで、なんでハンジさんとクサヴァーさんは、さんづけにしてしまうんだろう。自分だけかな。)  

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20話「特別作戦班」

 

「憎しみを糧にして攻勢に出る」よりも真実を知ることを目指す調査兵団のなかでは、エレンの戦いは、敵の巨人との勇猛果敢な格闘というわけには、どうしてもいかない。

現にエレンの戦いは、彼がおとりになったり、さらわれたりと、主人公らしからぬ無様なものばかり。知性巨人どうしの格闘では負けの連続。見ていてフラストレーションがたまります。

巨人化という特別な力を、仲間のうちで持っているのはエレンだけ。

それなのに、彼は長い間、自分の特別な力をほとんど活かせないままなのです。

自分が巨人化できると分かった当初こそ、エレンは自分を特別視し、その場の勢いとはいえ「いいから黙って全部オレに投資しろ!!」などと軍法会議で言い放ってしまいました(19話)。

しかし後に、彼は自分の力の正体を知ります。それは、なにやら世界の真実を知っているらしい父親グリシャによって、壁内人類の真の王家から奪い取られた力であり、しかもどうやら王家の手中になければ意味のない力でした。

これを知り、エレンは絶望します。自分は特別どころか、不必要な存在であったと悟るのです(65話)。 

もっとも最終的には、エレンはみずからの特別な力の「真価」を発揮できるようになります。まあそれは、人類みなごろしができる力なんですけど。

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65話「夢と呪い」

 

ここで重要なのは、調査兵団が世界の真実を知るまで、エレンの「特別な力」そのものは壁内人類が自由を奪還するための要ではなかったということです。

グリシャの地下室に到達すること、そこに眠っている壁外世界の真理を呼び起こすこと、それが自由への扉を開く鍵だったのです。  

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72話「奪還作戦の夜」

 

「真理があなたがたを自由にする」

 人を自由にするのは真理であり、人を奴隷にするのは無知である。

およそ2000年前、そう人々に告げたのは、ナザレびとイエス。彼の言葉は、弟子たちに福音として記録され『聖書』の一部となりました。 

そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。

......よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。

ヨハネ福音書 8:32, 34

 

さらに400年以上前、同じことを述べたのは、哲学者の代名詞、ソクラテスでした。あるいは、彼の口を借りた彼の弟子、プラトンでした。

対話篇『国家』のソクラテスいわく、 人間たちは洞窟の中の囚人のようなもので、その壁に映し出される影を真理と思い込んでいる。

しかし、たまたま拘束を解かれた者が、洞窟の外があることに気づき、外界の光に目を眩ませつつ、苦労しながら真の世界を見る

そして、すべてのもの(=すべての善いもの)をその真の姿において見ることを可能にするのは太陽であること、つまり光そのもの(=善そのもの、善のイデア)であることを知る。

他方で、洞窟に留まっている人々は、自分たちが囚われ人であることを知らない。光そのもの、善そのものなんて知ろうとは望まない。

それでも光そのものを見た者は、善くあろうと欲するなら、ふたたび洞窟に降りていき、人間全体を無知から解放せねばならないのです。

―― ......すなわちまず、最もすぐれた素質をもつ者たちをして......上昇の道を登りつめて善そのものを見るように、強制を課すということ。そしてつぎに、彼らが......善をじゅうぶんに見たのちには......現在許されているようなことをけっして許さないということ。

―― どのようなことを許さないと言われるのですか?

―― そのまま上方に留まることをだ。

プラトン『国家』第7巻 

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洞窟の寓話(プラトン

 

『進撃』に話を戻すと、無知のままでは、壁に引きこもりつづけても、壁外の巨人に虚しく挑み続けても、人類は自己決定を奪われた奴隷のままです。

だから、自由を奪還するためのエレンや調査兵団の戦いは、自由を阻む敵を倒すことではなかった。

それは世界の真実を知るための戦いだったのです。

この真理が、知性巨人やレイス家・中央憲兵団との争いをつうじて少しずつ露わになるにつれて、彼らは一歩ずつ自由へと近づいていったのです。

そして、調査兵団がグリシャの地下室(=世界の真実)に到達したあと、パラディ島をさまよう無垢の巨人たちは、一年のうちにほぼ一掃され、いなくなります。

壁内人類は、無知から脱したことで、巨人の脅威から、不可解な運命から解放されたのです。

「真理はあなたがたを自由にする」。

 

無知であるから人間は選ぶ

ところが、グリシャの手記と、それに触発されてエレンの意識に呼び起こされたグリシャの記憶とがもたらした真理は、善のイデアでも、神の愛でもありませんでした。

それは残酷な真実、すなわち、世界中の人類が「ユミルの民」に向ける強烈な憎悪だったのです。

壁の外には、アルミンが夢見るような、ロマンティックな自然世界が広がっているはずでした。 

でも実際には、壁の向こう側には、ささいな自由を求めた少女が犬に食い殺される世界しかない。

この残酷な世界の「記憶」を、エレンは覗き見てしまったのです。

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90話「壁の向こう側へ」

 

いまや知らねばなりません。

この絶望的な世界から、どうやって人間たちは抜け出せるのかを。

無知と憎しみのなかにある人間たちは「罪の奴隷」「洞窟の囚人」です。

この状態から解放されるためには、人類は憎み合うことをやめねばなりません。

しかし、このフィクション世界においては、このことを不可能にする厳然とした事実がある。

「ユミルの民」エルディア人が、巨人化し人間を喰う種族であることです。 

この点にかぎれば、エルディア人への憎しみは、無知ではなく、真実にもとづいているのです。

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106話「義勇兵

 

ここでは、もはや「真理があなたを自由にする」は通用しません。

どうすればいいか、誰も分からない。

それでも、この無知の状態において、何をするかを選ばざるをえない

束の間、残酷な真実から逃避すること(レイス家の選択)は、一見すると、何もしない消極主義ですが、 しかしそれも一つの選択です。選ぶことからは逃れられない

こうして、女型の巨人襲来のときと同様、実存的自由が問題となる切迫した状況に、エレンは陥ります。

そして彼は選びました。壁外の人類をみなごろしにする「地鳴らし」を。

(つづく)

 

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