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「敢然として決断をなさい」
決断すること。
何にも動じずに欲することを為そうとする「力への意志」になること。
「残酷な世界」に、ニヒリズムに対抗するには、そのような鋼の意志へと自己を化すしかない。
この力強い反ニヒリスト的信念は、世界が不条理であればあるほど、無力な人間たちをもてあそぶ運命の力が強ければ強いほど、説得力をもつでしょう。
だからこそ、かつての仲間をみなごろしにしようと決めたベルトルトや(78話)、壁外人類をみなごろしにしようと決めたエレンは(139話)、すべてが仕方なかった、そうする以外になかったと言いながらも、同時にそれは自分の意志で決めたことだと宣言したのです。
そのようなエレンやベルトルトの「決断」と、いま考察しているリヴァイの「決断」との本質的な違いとは何でしょうか?
リヴァイもまた、状況しだいではどんな役割でも、人の道を外れたことだって、引き受ける心の準備ができています。
そう宣言しただけでなく、現に中央憲兵のサネスを拷問しましたし(55話)、対人立体機動部隊に襲われたときにも容赦なくサクサクと憲兵たちを殺しました(58話)。
いずれの場合も、そもそも相手が自分たちを拷問する側・殺す側なので、読者視点ではさほど嫌悪感もなく読めるのですが、作中で「普通の人」の視点に立つジャンたち(あの幼馴染トリオは皆どこかしらヤバいので除外)からすると、ちょっとリヴァイにはついていけないなと感じてしまうのが自然です。
しかし、リヴァイはただの「ちゅうちょなくヤバい判断ができる人」ではありません。
たえず変転する不可解で不条理な運命に屈しない覚悟を表すものとして、リヴァイの心構えは、反ニヒリスト的信念と共通するといえましょう。
しかしリヴァイには、エレンやベルトルトには見られないような、ある種の冷静さ、慎重さが、いうなれば謙虚さがあります。
いつでも決断を下す覚悟とともに、そのような自己の判断を絶対化せず、条件が変われば別の判断が正しいと認めるための――キルケゴール風にいえば「たえず決断を改める」ための――心の備えが、つねにリヴァイはできているのです。
このキルケゴール的決意、このキルケゴール的信念は、一回きりのドラマチックな決断ではなく、決断することをやめないことの決断を意味します。
それは「決断の軛(くびき)を投げすて」ることではなく、この「軛」にすすんで自己を拘束し、逃れられない決断の連続を生き抜こうと格闘することを意味するのです。
……敢然として行ないなさい。あなたはあなた自身とあなたの決断に対して不実であった。……敢然として、あなたは改めて決断をなさい。決断は再びあなたを力づけ、神を信頼するようにさせるにちがいない。……敢然として決断をなさい。あなたは決断の軛(くびき)を投げすて、……鎖を解かれた囚人のように、自分の自由を自慢している。このあなたの誇りこそ臆病であることを理解する勇気をもちなさい。
キルケゴール 『四つの建徳的講話』
このキルケゴール的決断を、仮に、反決断主義的な信念、反決断主義的な決断、とでも呼ぶことにしましょう。
反決断主義的な決断の倫理
キルケゴール的・反決断主義的な決断は、ある意味では、ニーチェ的・反ニヒリスト的信念のそれよりもはるかに厳しい要求を課すものといえます。
それは、たった一度の決断のうえに自己の信念を安住させることを許さないからです。
「臆病」であること、すなわち、みずからの鋼の意志、不動の信念にすべての判断を委ねてしまうことを、それは許さないのです。
「ザ・決断」こそが人間性を決定するという信念に、人は高揚します。
それと比べると、あなたが何者であるかを左右するのはあなた自身の無数の決断であるという教えは、あまり魅力的ではありません。
そんなことを言われれば、人はときに困惑や、不快感すら覚えるでしょう。
とくに、何かを決意したばかりの人にそんなことを言えば、その人は間違いなく戸惑いを露わにするでしょう。
「次はためらわずに敵を殺す」と肚を決めたその瞬間、リヴァイに「何が本当に正しいかなんて俺は言っていない」「お前は本当に間違っていたのか?」と問いを投げられ、思わず馬が鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった、ジャンのように(59話)。
対人立体機動部隊による襲撃のなか、ジャンの逡巡が彼自身や仲間を危うくした。
だからジャンは人を殺す覚悟をもつべきだ。
でもだからといって、任務のためや仲間のためという理由が、つねに人殺しを正当化するとは限らない。
結局のところ、何が正しいかということは、誰かの命令や、自分の一度きりの判断に頼るのではなく、その都度、自分で考えるしかない。
――リヴァイが言いたかったのは、こういうことでしょう。
かれはここで、かつてのエレンに対する「お前が選べ」と本質的に同じことをジャンに言ったわけです。
でも、今まさに「人を殺す覚悟」を決めたジャンは、リヴァイの意図が理解できずに困惑するばかりでした。
この一幕は、自分の判断の正しさを信じると同時に、その正しさは次の瞬間にはもう失われているかもしれないと予期することが、どれほど難しいかを物語っています。
しかしこの困難な精神的態度こそ、不安を生き抜こうとする意志を源泉とする、反決断主義的な決断に固有の倫理的態度なのです。
(でもまあ、翌朝偵察に来て捕虜にされたマルロとヒッチの件で、ジャンはリヴァイの教えを自分なりに理解し、実践に移すことができたのですけどね。リヴァイの意見に付和雷同せず、ジャンがマルロは信用できるという自分の直観を信じたおかげで、リヴァイ班は中央憲兵団への反撃の機を掴むことができました。)
プロフェッショナリズム
不安を生き抜こうとする意志は、慎重さと大胆さ、臆病さと勇敢さ、謙虚さと高慢さを、どちらも兼ね備えた意志でなければならないでしょう。
そのような意志は、ある種のプロフェッショナリズムとして表現されることもあるでしょう。
怖気づかず、かといって自分を過信することもなく、所与の状況に的確に対応し、目標を達成しようとする態度、とでも定義しておきましょう。
10パーセントの才能+20パーセントの努力+30パーセントの臆病さをもって、残る40パーセントの運を味方に引きつけるという、某スナイパーの精神ですね。
この某スナイパーのセリフの含蓄深さは、やはり「30パーセントの臆病さ」に見出されるべきでしょう。
才能の倍、努力することが成功の秘訣だ、という凡庸な教えなら誰でも言えそうですが、さらには、抜きんでた才能と積み重ねられた努力の合計に匹敵する「臆病さ」または慎重さを備えるべし、と東郷氏は言っているのです。
それほどの慎重さがあってはじめて、自分の能力(合計60パーセント)は運に勝ることができるというのです。
この「臆病さ」が、キルケゴールのいう「臆病さ」ではなく、むしろ逆に、かれのいう「決断」を基礎づける慎重さであることは、もはや説明するまでもないでしょう。
そういうプロフェッショナリズムをリヴァイがもっとも印象的に発揮するのは、ミカサとともに「女型の巨人」に敗北したエレンを救出するシーンです。
エレンを救おうと女型を攻撃しながらも、冷静さを欠き、危なっかしいミカサ。
かのじょに合流したリヴァイは、かれを慕う四名の班員たちの無残な躯(むくろ)を目のあたりにしながら、女型に追いつきました。
自分を非難するミカサが、軍事法廷でかれを睨みつけたエレンの幼馴染であることに気づいたリヴァイは、一瞬、ミカサすら怯ませるような冷たい無表情に沈むも、次の瞬間には、その目に決意の光を宿らせています。
エレンを救うことだけを目標に、女型を攻撃する二人。
リヴァイはエレンを見事救出するだけでなく、かれに圧倒される女型を見て、いまならやれると早まったミカサを、あわや返り討ちというところでかばってすら見せました。
目標を遂げて戦場から撤退しながら、かのじょにリヴァイがかけた言葉は「作戦の本質を見失うな」です(30話)。
リヴァイが一瞬見せた、人をぞっとさせるような無表情。
状況に応じて、ただちに次の判断を引き出そうとする思考の迅(はや)さが、そして仲間を失ったことで沸き起こる悲しみ、怒り、動揺を押し殺す冷徹さが、そこから読み取れます。
しかし次の瞬間、すでにリヴァイは、次になすべきことに全意識を傾けています。
かれの判断は、女型を殺すのはあきらめるという、かれの実力を考えれば控えめなものでした。
しかし実際、リヴァイにも劣らぬ実力者のミカサが、女型に返り討ちにされかけたのでした。リヴァイの慎重さには十分、根拠があったのです。
こうして、かのじょの血気に逸った行動との対比で、リヴァイのプロフェッショナリズムが際立ちます。
怒りに身を任せることも、自分の力を過信することもなく、リヴァイはエレン救出という、状況が許容するかぎりの最善の目標を成し遂げたのです。
※ 併せ読みがオススメ
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「決断は再びあなたを力づける」
とはいえ、プロフェッショナリズムだけが反決断主義的な決断の表現というわけではありません。
不安を生き抜こうとする決断、決断を改めることを恐れない決断は、無力感にさいなまれる者を力づける決断でもあるのです。
自分の巨人化能力は父が王家から奪ったものだが、その能力は王家の手になければ真価を発揮しないとロッド・レイスに告げられたエレン。
かれは巨人から人類を守る力が自分のせいで失われたのだと解して「いらなかったんだよ、オレもオレの親父も」と絶望し、ヒストリアに自分を喰って巨人の力をあるべき場所に戻してくれと嘆願しました(65話)。
ヒストリアがロッドに従うことをやめ、そして仲間たちが助けにきた後も、エレンは絶望から立ち直れません。
みずから巨人化したロッドのせいで洞窟の崩壊がはじまり、このままでは岩に潰されて全滅という窮地のなか、ふたたびリヴァイはエレンに「選べ」と迫ります。
この問いかけに触発されてエレンは、かれがはじめてこの言葉を投げかけられた「女型の巨人」来襲の場面を思い出し、もう一度だけ自分の力を信じて抵抗することを選びます(66話)。
きっとこのときエレンは、かれ自身の選択のせいで旧リヴァイ班の仲間を失った苦しい記憶を、あのとき自分が戦っていればという悔恨とともに想起したことでしょう。
この悔しさに鼓舞されて、エレンは絶望の底に沈みこむ前に、もう一度だけ「悔いなき選択」をしたのでした。
正しい決断をすべきだったという悔恨が、エレンをキルケゴールのいう「臆病さ」から、すなわち、ふたたび決断せんとする意志を挫く絶望から、かれを救ったのです。
「敢然として、あなたは改めて決断をなさい。決断は再びあなたを力づけるにちがいない。」
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