進撃の巨人・自由論

わたしは自由であるか。自由とは何なのか。深堀りすれば自由の謎が解けるマンガもあるかもしれない。

2.6.a マキャベリストと群衆、またはフロックとイェーガー派 (上) ~ マキャベリズム・ロマン主義・実存的自由

 

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凡人フロックが欲する「悪魔」

今回は、エルヴィンを「地獄」に蘇らせようとしたフロックに光を当ててみます。

マーレ編以降、まるでエルヴィンやアルミンのかわりに、フロックがマキャベリストの役回りを引き受けたかのように物語が進んでいったからです。

 

フロックは当初、巨人からの領土奪還への希望に背中を押されて調査兵団に中途加入した、凡庸な一新兵にすぎませんでした。

でも、そんなかれには、思ったことを思ったとおりに口にできる率直さがありました。

対「獣の巨人」戦では、フロックのセリフは仲間の士気にガッツリ悪影響を及ぼしたものの、しかしかれを叱咤したマルロ含め、その場にいる新兵たち全員の実感を、非常にうまく言語化してみせたのです。

「そうやって死んでいくことが ...こんなに何の意味もないことだなんて 思いもしなかったんだ...」(80話)。

迫りくる死の恐怖に取り乱すモブが発したとは思えないほど冴えたセリフですが、ここでも問題は、死ぬこと自体ではなく、無意味に死ぬことです。

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80話「名も無き兵士」

 

持ち前の率直さを活かして、その後もフロックは、ただのモブではないことを見せつけます。

エルヴィンの代わりにアルミンを生かした選択について、あえて受勲式で蒸し返すフロック。

あの選択は正しかったのか? エルヴィン団長無しでどうするのか? 自分のような「使い捨てるくらいしか使い道もねぇ」「雑魚」にだって「値踏みする権利くらいはあるだろ!?」と(90話)。

こうしてフロックは、かつてジャンがエレンに投げかけたセリフを、図らずして再現してみせました。

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90話「壁の向こう側へ」

 

とはいえ、このセリフには重要な違いもあります。

かつてジャンが凡人代表として、この「値踏み」する権利を主張したのは、壁内人類にとってまだ希望とも災厄ともつかない存在としてのエレンに対してでした(22話)。

つまり、ほんとうはエレンの真価は分からないけど、でも大層高価なものだと信じることにするから、どうか期待を裏切らないでくれよと、そうジャンはエレンに伝えたのです。

 

その一方で、凡人フロックが、そのために自己の命を投げ打してもよいと「値踏み」するのは、かれのいう「悪魔」に対してです。

「獣」との決戦後、死にかけのエルヴィンを連れてきたフロックは、こういう意味のことをいいました。 

「悪魔」すなわち非情だが非凡な能力をもつ指導者に奉仕するためならば、自分のような凡人が「雑魚」として「使い捨て」られることにも意味を見出せると。

悪魔を再び蘇らせる... それが俺の使命だったんだ!!

それがおめおめと生き残っちまった... 俺の意味なんだよ!! (84話) 

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84話「白夜」

 

フロックのいう「悪魔」は、エルヴィンの人格分析のために参照した、ゲーテの『ファウスト』の悪魔とは、ずいぶんと違っています。

ファウストと契約したメフィストフェレスは、人をロマンティックなエゴイズムへといざなう誘惑者でした。

それに対してフロックの「悪魔」は、人に犠牲を強いる超常者です。

フロックがそれを欲するのは、かれ自身のためというより、そのような超常者に導かれることでしか、かれを含む凡人は救済を得られないと考えるからです。

さて問題は、このような信念から、なぜあのマキャベリストが、すなわち「イェーガー派」の指導者としてのフロックが出てきたのかということです。

 

『進撃』のマキャベリストたち

マキャベリズムとは、これまで説明してきたように、自由と道徳が両立しがたい状況において自由を達成するために採用される非モラリズムです。

しかし道徳とは、善悪とは、その真価が何であれ、人にどう行動すべきかを教えてくれる指針なのです。

それに頼れないからといって、何の指針もなく、でたらめに行動することでは、運命の暴力にはとうてい太刀打ちできないでしょう。

では、何を指針とすべきか? それを説いたのが、マキャヴェリの『君主論』です。

同書は、あえて悪をなせとか、獅子と狐を使い分けよとか、さまざまな指針を与えていますが、その精髄をなすのは、慎重さよりも大胆さが必要となる局面を読み誤るな、という教えです(2.1, 2.2 も参照)。

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『進撃』のマキャベリストたちは、どんな指針に従っているでしょうか。

エルヴィンは、あえて「大胆」になるべき時、あえて「博打」に打って出る時を、本能的に見抜くことができる、天然のマキャベリストです。

エルヴィンの指針は、かれ自身の才能であるというべきでしょう。

とはいえ、エルヴィンの本質はマキャベリストというよりもエゴイスト。

かれはマキャベリズムをみずからの指針や信念として選んでいるわけではなく、エゴイズムを貫こうとして、おのずとマキャベリストになるにすぎないのです。

 

それに対してアルミンは、意識的、自覚的なマキャベリストです。

エルヴィンが素でやっていることを、アルミンは信念にもとづいて実践します。

だから、アルミンには正真正銘の、つまり指針としてのマキャベリズムがあります。すなわち、状況を変えるためなら「大事なものを捨てる」ことを恐れるな、という格率です。

この格率に従って、アルミンは自覚的に「大胆」にふるまうのです。

 

フロックは、いずれとも違います。

かれの指針とは、ずばり「悪魔」に奉仕することです。

この場合、かれのかわりに「大胆」に決断するのは「悪魔」です。

いや、フロック自身もまた悪魔への奉仕者として、もはや善悪など顧慮せず「大胆」に行動できるでしょう。

しかし、フロックの「大胆」さは「悪魔」のものではあっても、かれ自身のものではないということには、留意しなければなりません。

マキャベリスト的「君主」は、フロックではなく、かれが仕える「悪魔」であるはずなのです。すくなくともフロック自身の主観においては、そういうことになります。

これはどういうことか? それを考察するまえに、かれによるマキャベリズムの実践ぶりを見ておきましょう。

 

マキャベリストとなったフロック

「悪魔」エルヴィンはけっきょく甦らず、フロックの使命感は宙ぶらりんになってしまいました。

かれはずいぶんと長いあいだ、虚無感のなかにいたようです。

エレンが壁外人類みなごろしの「地鳴らし」を決意したと知り、心の底にくすぶっていた使命感がふたたび燃え上がるまでは。

そもそもエレンの決意にきっかけを与えたのは、 当のフロックでした。ジークの安楽死計画をエレンに伝えたいイェレナに、エレンとの密会をセッティングしたのです。

フロックがあらかじめ安楽死計画についてどこまで聞いていたのかは分かりませんが、かれ自身はそれにあまり大きな希望を見ていたわけではなさそうです。他に選択肢がないから仕方なく検討してみる、といったところでしょう。

というのも、イェレナと話したあと、エレン自身の真意をかれから聞くまでは、フロックの目つきは、力なく、うつろで、なげやりであったように見えるからです(130話)。 

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130話「人類の夜明け」

 

うってかわって、マーレ奇襲作戦以降のフロックの、なんて生き生きとしていることでしょうか。

目的のためなら善悪を顧みるな、手段を選ぶなというマキャベリストの教えを、清々しいほどちゅうちょなく実践してくれます。

かれの率いる「イェーガ派」が、兵団幹部にジークの脊髄液入りワインを密かに飲ませる計画に加担していたと気づかれたときなんか、こーんな悪そうな表情だってしちゃうんだもんね(112話)。 

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112話「無知」

 

かつて訓練兵だった自分たちをイビリ倒した鬼教官は「とりあえず足でも撃って」黙らせておくのがジャスティス(113話)。  

そして、エレンが「地鳴らし」発動に成功したのを見届ければ、即、粛清モードに切り替える判断の迅速さ。

かつての協力者、しかもジークとイェレナの安楽死計画など知らず、本気でパラディ島といっしょにマーレと戦うつもりだった義勇兵たちに、服従か死かの二択を容赦なく突きつけます(125話)。 

 

冷酷で残忍な行動力を見せつけるフロック。

かれの描写で興味をひくのは、マキャベリズムを実践しはじめたからといって、フロックは別人に変わったということでは全然なくて、むしろ本質的には凡人のままとして描写されているという点です。

キース教官を黙らすための狙撃は外すわ(113話)、エレンが「地鳴らし」を発動したときには壁の崩壊に巻き込まれて死にかけるわ(124話)。

あげくのはてには、(恐らく)中年の女性事業家でしかないキヨミに、隙をつかれ極め技でねじふせられる始末(128話)。

まあキヨミに護身術の心得はあるということでしょうが、それにしたってフロック君は軍人ですよ。兵士としての地の力は、やっぱりポンコツなわけです。

 

そうなると、次のような疑問が浮かびます。

なぜ「凡人」フロックは、凡人のまま、ここまで徹底的にちゅうちょなく、血も涙もない冷酷なマキャベリズムを実践できるようになったのでしょうか。

これこそが、フロックと「イェーガー派」をめぐる核心的な問題なのです。

 

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