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コニーの本来性
以前の記事(3.3 参照)では、コニーが「状況に流され」て調査兵団入りを選んだと指摘しました。
その後、かれが状況にどう対峙し、何を選びとったのかを、ここで考察してみましょう。
コニーにも実存的選択をめぐるドラマがあります。
かれもまた、非本来性と自己欺瞞を通過した先に、本来の自己へと到達するのです。
ただしコニーが身をもって示すのは、本来の自己を選ぶことが、自己実現による満足とはかけ離れた経験でありうること、むしろ責め苦をともなう苛酷な試練を自分にもたらすかもしれないことです。
巨人の恐ろしさを身をもって知ったのに、それでも調査兵団入りを選んでしまったコニー。
自分がなぜそうしたのかをよく理解できず「もうどうでもいい」と投げやりな言葉を吐きながら、かれはそうしたのでした。
コニーはいわゆるお馬鹿キャラであり、自分でもそういう自覚があります。
それゆえにかれは、自分の行動の目的や動機を言語化することが不得意です。
ジャンのように、みずからの決意や覚悟を自分自身に語ってみせる機会は、コニーにおいては訪れません。
でも、そんなかれもまた、自由のために戦う調査兵団の一員としての自分を「ほんとうのわたし」として、しだいに引き受けるようになっていたのです。
やはり決定的だったのは、故郷ラガコ村の住民が、無垢の巨人に変えられてしまったことでしょう。
父親と二人のきょうだいを含めて、そうとは知らない兵団にみな狩られてしまいました。
コニーに残されたのは、身動きのできない姿となったため捕獲対象にされた母親だけです(51話、125話も参照)。
もう一つの特筆すべきエピソードは、あの夕暮れの汽車上での会話でしょうね。
なじみの104期の仲間たちが鉄道敷設作業を終えて帰路についていた、ある夕暮れのシーン(108話)。
エレンの巨人を誰に継承させるか考えておかねばならないとエレンが話を切り出すと、わたしが、いやオレがと、ミカサやジャンが次々に名乗り出ます。
この流れにコニーも割って入りました。
ジャンはむしろ「兵団の指導者とか」を目指すべきで、かわりに自分がエレンの巨人を継ぐといい、エレンにも「ジャンよかいいだろ? 俺の方が」と、あえて悪態をついてみせるコニー。
自分の余命を13年に縮めることを意味する巨人継承。
それをためらわず申し出られるほどにコニーは(この場にいる他の同期生もそうですが)、仲間と苦楽をともにする自己を、揺るぐことなくしっかりと引き受けていたのです。
コニーの自己欺瞞
ところが、そんな仲間たちの強い絆にも亀裂が走ってしまいます。
エレンが単独行動を開始し、それに引きずられて調査兵団がやむなく実行したマーレ奇襲作戦でサシャが命を落としたためです。
理解しがたいエレンの行動や態度に、もっとも不信感をもったのはコニーでした。
もしジークの側にエレンがつくなら、そのときは「奴を切る覚悟をしておく必要がある」と、コニーは怒りに満ちた目で言い放ちます(108話)。
ジークこそ、ラガコ村の住民たちを巨人に変え、コニーの故郷と家族を奪った張本人。
しかも、そのかれに呼応する動きを見せているエレンは、大切な仲間であるはずのサシャの死を嘲笑した(ように見えた、実際は違う訳ですが)。
コニーがここまで怒るのも無理はありません。
しかし、コニーはエレンに恨みをもっただけでなく、怒りと不安に目がくらんでしまったように見えます。
エレンの目的がジークのそれとは違うことは判明したものの、エレンが「始祖の巨人」の力を掌握してはじめたのは、壁外人類みなごろし。
ジークによって巨人にされた上官たちも元に戻らず、状況はいぜんとして混沌の極み。
「顎の巨人」を継承したファルコを使って上官の誰かを助けようと提案するジャンをさえぎって、コニーは自分の母親にファルコを喰わせると言い出し、強引にファルコを連れ去ってしまいます(124話)。
状況に流されるコニー。
一寸先も見えない状況のなかで、兵士として役割を果たすことを放棄し、自分自身の目的のためにのみ行動を始めたコニー。
でも、今回のかれは、自分自身の真意を掴みきれずにそうふるまっているのではなく、自分を偽っているのです。
ファルコを母親のもとに連れていく途上のコニーは、心のなかで自分に言い聞かせます。
「俺は兵士になった...」と。
他の家族は永遠に失われてしまったが、それでも「母ちゃんだけは取り戻せる」と。
「そうだ 俺は兵士になって... そして...」(125話)
でも、その先には言葉が続きません。
兵士になった、だから、母親を取り戻すことができる、と考えようとしているのでしょう。
でも、おそらく訓練兵になるための旅立ちの日、コニーに母親は「みんなを守る立派な兵士になっておくれ」と励ましたのでした。
そのこともまた、コニーの脳裏にはよぎっています。
つまり、そのような母親の期待と、いま自分がやろうとしていることの矛盾を、すでにコニーは自覚しているはずなのです。
だから「兵士になって... そして...」に継ぐ言葉が、かれの心には浮かばないのでしょう。
「馬鹿のことなんてわかんねぇよ!!」
それでもコニーは自己欺瞞をやめることができません。
かれを止めにきたアルミンに対して、というよりも自分自身に対して、開き直りの言葉をコニーは吐きます。
「正しいお前なんかに!! 馬鹿のことなんてわかんねぇよ!!」(126話)
たしかにこの一言は、前団長エルヴィンの代わりになれず失意のどん底にいたアルミンの心に、ぐさりと深くぶっ刺さったようです(2.7 参照)。自分は小知恵が働くだけで、エルヴィンの代役にふさわしい判断力や指導力など皆無であると、コニーのセリフをそういう意味に解したのでしょう。
しかしながら、このセリフはそれよりもコニー自身を騙そうとする弁明だと言わねばなりません。
自己欺瞞とは、人間がみずからの自由に目を閉ざし、事物のように、川面に漂う落ち葉のように、状況に流されるしかないのだと、自分に言い聞かせることです。
まさにそれと同様にコニーは、自分を「馬鹿」だと開き直りつつ、そういう「馬鹿」にはこうする以外に方法がないのだと、自分に言い聞かせているのです。
絶望しきったアルミンが自分をコニーの母親に喰わせようとしたのを見たことで、ようやくコニーは目を覚ましました。
そんなコニーが自分自身につけたオトシマエは、かれが本来の自己を取り戻すために下した決断は、母親の願い、すなわち「みんなを守る立派な兵士になって」欲しいという期待を、文字通り目標とすることでした。
すなわち、エレンの「地鳴らし」を止め、壁外人類を救うことです。
「ほんとうのわたし」に強いられて「裏切り者」になるコニー
状況を引き受け、本来の自己に向き合うということは、しかしそれだけで希望への約束となるわけではありません。
人類を救うという新たな決意を抱いたコニーを待っていたのは、仲間と殺し合ってでもエレンを止めに行くか、それとも決意を放棄するかの二者択一でした(128話)。
コニーは決意を曲げないことを決めましたが、そのために訓練生時代の友人に「裏切り者」と罵られながら、かれらを殺すはめに陥ったのです。
ダズとサムエルを撃ったコニーは、サシャを失った直後と同様、またも鬼の形相に。
コニーは本来的な自己から脱落したのでしょうか?
それとも、ダズとサムエルに銃を撃ったこともまた、コニーが本来的であるために必要な選択だったのでしょうか?
後者だと見なすべきでしょう。
それこそが、母親にそう願われた「立派な兵士」として世界を救うというコニーの決断の、避けがたい結果だったのですから。
本来の自己を選ぶことは、満足と幸福への約束であるどころか、このように苛酷な試練のはじまりであるかもしれません。
しかし、この危険性を避けることは不可能です。
自己を試す残酷な状況が、どこに「ほんとうのわたし」を運び去ってしまうのか――本来性を選び取るその瞬間、それを予見できる者などいません。
だから人間は、惨たらしい現実に苦しみ、幻滅し、嘆きの声をもらしながら、それでも「ほんとうのわたし」であろうとした自分自身の選択に、オトシマエをつけるしかないのです。
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