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ヒストリアという目的
ところがユミルはいつしか、自分自身とは異なる目的をもつようになりました。
由緒ある家系の「不貞の子」として生まれたのが災いして、別人として生きることを強いられ、訓練兵に追いやられた少女のことを耳にした日から。
すなわち、クリスタとして生きるヒストリアの存在を知った日から。
この少女を見つけだすために、ユミルはみずからも訓練兵に志願します――自覚的にではなかったとしても(40話)。
そして、すぐにそれらしき少女に、クリスタと名乗っていたヒストリアに目星をつけます(15話)。
ところが、あの話の少女とその訓練生とが同一人物であることを当人に確認したために、逆にユミルはヒストリアに問われます。
自分を探すためだけに、わざわざ訓練兵にまでなったのは、一体どうしてなのかと。
もしかして「私と友達になりたかったの?」と――自分の運命を知る理解者に出会えたことに喜びの表情を浮かべながら(40話)。
これをユミルはムキになって否定しました。
自分はお前とは違って自分のためだけに、変更できない「運命」なんてないと立証するためだけに生きているのだと、そうかのじょは称します。
でも、ここで正しいのはヒストリア。まちがいなくユミルの胸中には、自分に似た境遇をもつ少女と知り合いたいという欲求があったのです。
ただし、他人に強いられた役割を演じる少女としてのヒストリアは、捨て去った過去の自分自身をユミルに思い出させもします。
そんなヒストリアに、今のユミルが自分と同じであるとは思ってほしくないというのも、ユミルの正直な心境ではあるでしょう。
ともあれ、ユミルにとってのヒストリアは、他者であると同時に過去のユミル自身を体現しています。
その一方で現在のユミルは、無頼の自由を誇ってはいるものの、この自由の真価を、すなわち、そのために自由を役立てるべき目的を見出せていません。
そんなユミルの目に、過去の自分に等しいヒストリアが救われることが、真に価値のある目的として映るのは、ほとんど必然的といえるでしょう。
こうして「自分自身のためだけに」を準則とするユミルは、まさにこの準則にのっとって、自分ならざるものを、すなわちヒストリアという他者を、究極目的として選び取ったのです――しかも、ほとんど無自覚に。
だから、ユミル自身が口ではどう言おうとも、ライナーが指摘したように、かのじょにとってヒストリアが「自分より大事な人間」になったというのは本当なのです(47話)。
しかし、ヒストリアという他者=自己を目的としたユミルは、そのために何をすべきかを確信できません。
ライナーたちにエレンとさらわれたあと、かれらの目的をおおまかに察知したユミルは、ヒストリアを壁外に逃がすために、かれらとの取引に応じます――それが「顎の巨人」をもつ自分自身を犠牲にする選択であっても。
しかし、ヒストリアが自分を助けにきたことを知ると、ライナーたちに任せるよりは、かのじょを自分の手で連れ出したいと、そうして最期に一目でもかのじょに会いたいと、意志を変えます。
自分に有利な環境を活かしてライナーたちを脅し、我意を通したユミルは、ヒストリアを連れ去ることに成功しました(47話)。
他者=自己から対等な友へ
一連のユミルの行動は、たしかに他者=自己としてのヒストリアの救済を目的としています。
しかしそれは、客体としての、生命体としてのかのじょを救うことではあっても、主体としての、実存としてのヒストリアを救うことに直結するかどうかは、定かではありません。
それをユミル自身も分かっていたでしょう。だからかのじょは、自分が助かるためにヒストリアを差し出すのだと嘘をつき、自分を救いたがっているヒストリアをうまく言いくるめようとしたのです(48話)。
しかし、ヒストリアの意志は、かのじょの願望は、ユミルに救ってもらうことではありません。
たがいを認め合う、唯一無二の、対等な友になることです。相棒ってやつですね。
コニーのツッコミで冷静になり、ユミルの真意を察したヒストリアは、ユミルに訴えかけました。
「人のために生きるのはやめよう」「私達のために生きようよ!!」と(50話)。
なんて美しい女性版バディ精神。
いまや「自分のために生きよう」は、言葉とは裏腹に、ヒストリアとユミルの両方にたいして「おまいう?」のセリフとなっています。
つまりそれは、相手の自由こそ自分の自由であると心から感じる二人が、自分ではなく相手を励まし、相手を力づけるために投げかける言葉なのです。
こうして、ヒストリアを目的として選んだユミルは、そのヒストリアにとっての目的となれたのでした。
ほんとうに価値のある自由は、かのじょ自身のいう「イカした人生」は、いまやユミルの手のなかにあります。
ところで話がそれますが、ヒストリアと巨人ユミルのコンビの絵って、なんかデジャヴュ(既視感)だよなあーと筆者は思っていたのですが......。
......ふと思いつきました。デジャヴュの正体は、ジブリっぽさじゃないですかね。
え、それはない?
ユミルが引き受けた「女神様」
ところがユミルは、自分を心から欲してくれたヒストリアとの別れを選びます。
ヒストリアに詫びの言葉を残して、ユミルはベルトルトとライナーを助けに行ってしまいました(50話)。
ユミルがそうした理由は、作中の人物たちだけでなく、読者にも分かりにくい。
あとで当人は、ベルトルトとライナーには「私が馬鹿だから」とか、かれらを退かせるため「土産」になってやったとか、ベルトルトの「声が聞こえちまったから」とか、あれこれ口実をつけました(50話)。
言いたいことはなんとなく伝わりますが、ここでもユミルは自分自身の動機を言語化できていない感があります。深堀りしてみるしかないですね。
まず、なぜ心が通じ合ったヒストリアとの別離をユミルは選んだのか。
エレンが「叫び」の力を発動したのを見て、壁の中にも「未来がある」と知ったからではありません(50話)。それはヒストリアを壁外に連れ出さなくてもよい理由にすぎず、なぜユミルがヒストリアとともに壁内に戻らなかったのかを説明しません。
むしろ真の理由は、ユミルがヒストリアと真の友になったこと、つまり救ってやるべき過去の自分としてではなく、対等の友としてヒストリアを心から認めたことではないでしょうか。
ユミルのヒストリアに対する献身には、かのじょの良心が表れています。
でもそれは、自分を対等な友として認めてほしいというヒストリアの思惑とはズレていました。
すでに述べたとおり、ユミルはヒストリアをかのじょ自身としてではなく、救われるべき過去の自分として見ていたのです。
そうやって過去の自分を気にかけているあいだ、ユミルは現在の自分が空虚な自由しかもたないことを忘れていられたでしょう。
ところが、いまやヒストリアは自分自身の名で生きることを決意しました。
ユミルの良心に呼び覚まされ、いまや逆にユミルを「私達のために生きよう」と励ますほどに自己を確信するヒストリア。
もはやヒストリアは、過去のユミルではありません。
偽りの「女神様」の役を忠実に演じながら人生を終えた名もない少女は、もうそこにはいないのです。
ならば、過去の自分に与えてやりたかったものをヒストリアに与えようとすることは、もう終わりにしなければならない――そのことをユミルは、ばくぜんとであれ悟ったはずです。
もはやユミルの眼前には、現在の自分しかいません。
無頼の自由を誇りながら、その自由を使ってどう生きるべきか、どんな「自分」で在るべきかを知らずにいる自分自身しか。
第二の人生を自分のために生きていると思い込みながら、それを運命への復讐として意味づけ、過去の自分への執着を捨てられずにいる自分自身しか。
だとすれば、いまこそユミルは、自分とは誰かを、いまここに存在する「わたし」とは何者なのかを、みずからの心に問わねばなりません。
いまこそユミルは、耳を傾けるしかないのです。
自分のためだけに生きたいと叫びながら、他人のために身を投げ出すことをも命じる、みずからの内なる声に。
救ってあげようとした過去の自分(ヒストリア)によって逆に呼び覚まされた、現在の「わたし」自身であるところの良心に。
このことから、なぜユミルがベルトルトたちを選んだのかという、もう一つの疑問についても説明がつきます。
ユミルの内なる良心は、ヒストリアだけでなく、誰であれ残酷な運命に苦しめられる人間に、共感を、あわれみを、あの「あらゆる熟考の習慣に先立つ」心の痛みを、感じずにはいられなかったのです(ルソー『人間不平等起源論』)。
かつての仲間に「裏切り者」と罵られるベルトルトに、かれの「誰か僕らを見つけてくれ...」という嘆きに、ユミルの心は共鳴せずにはいられなかったのです。
みずからの心が、内なる良心が命じることを、ユミルは実行するしかなかったのです。
自分がしたいと思っていることについて、わたしは自分の心に尋ねるだけでいい。わたしが善いと感じることは、すべて善いことなのだ。
ベルトルトたちに引き下がってもらえるよう、ヒストリアが壁内の安全が一時的にでも確保されるよう、自分をかれらの「土産」にしてやるのだとユミルはいいましたが、それも嘘ではないでしょう。
でも、そういう頭で考えた目的とは別にある、かのじょの内面そのものにかかわる実存的な理由を見落としてはなりません。
すなわち、ユミルは自分自身を解放したかったのです。
過去の自分ではなく、現在の自分を。
過去の自分に執着している「わたし」ではなく、自己の半身たるヒストリアが鏡のように映し出してみせた「ほんとうのわたし」を。
ユミルの「内なる声」は命じたのです。
過去に縛られたヒストリア=「わたし」はもう救われたのだから、こんどは現在を生きようとするヒストリアに応答するため、現在を生きるべき「わたし」自身を解き放ちなさいと。
だから、他者に共感する「ほんとうのわたし」に従いなさい、逃れがたい運命に苦しむベルトルトたちを助けなさいと。
こうしてユミルは、ようやく自分自身になれました。
いまや対等な友となったヒストリアに感化されて、ユミルは解き放たれ、現在を生きる「ほんとうの」自分自身になることを選んだのです――そのことが当のヒストリアには理解できなかったとしても。
そんな自分を、ユミルは冗談めかして「女神様」と呼びました。
もちろん、ユミルがふたたび引き受けた「女神様」は、かつての偽りの超自然性、偽りの「女神様」ではありません。
みずからの心が善いと感じることだけをなす、それは人間としての、自然的良心としての「女神様」なのです。
「自分の心に尋ねるだけでいい。わたしが善いと感じることは、すべて善いことなのだ」
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