進撃の巨人・自由論

半分は哲学の解説ブログ、半分は作品の考察ブログ(最近は3:7くらい)。

5.2.b 罪の奴隷となったハンジの自己解放 (下) 〜 自由になることと人間であること

 

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正義は我にありと信じたいハンジ

王政との戦いに勝利し、壁と人類の真実を知るための道を切り拓いた、調査兵団とハンジさん。 

シガンシナ区の決戦の結果、数多くの仲間とともに調査兵団長エルヴィンを失い、重責を感じつつ団長をひきついだハンジさん。

 

サネスが発した「呪いの言葉」は、この時点ではまだ、ハンジさんに影響を及ぼしているようには見えません。

まだここでは、次のように信じることができるからです。

人類を無知に閉じ込め、自滅するに任せようとした王政と比べて、自分たち兵政権のもとで、人類は真実に向かって進んでいると。

たとえ未来には暗雲が立ち込めていても、兵政権は少なくとも、真実を欲し、真実を意志し、真実に一歩一歩近づいていると。

無知に居直る者に正義はなく、真実を目指す者にこそ正義があり、自由があるのだと。

大切なのは「真実に向かおうとする意志」だと思っている ……違うかい?

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兵政権が王政と、ハンジさんがサネスと、同じ「役割」を演じることになるという呪いの予言を、かのじょはたやすく否定することができます。

かのじょたちがぼう大な犠牲を払って発見したものが、たとえ希望とはかけ離れた苦い真実だったとしても。

巨人の正体はエルディア人という一民族であり、壁外の人類の大多数はエルディア人を恐れ、憎み、滅ぼしたいと望んでいる。

この絶望的な真実を、それでも兵政権は公表しました。それをふたたび隠すなら、やっていることは王政と変わらないからです。

 

真実の公表後、新聞記者のロイとピュレに再会したハンジさんは言います。

「調査報告が我々の飯代だ」「情報は納税者に委ねられる」「そこが前の王様よりイケてる所さ」と。

あなたがたは「誇り」だとロイにほめられたものだから照れてしまう、根が素直なハンジさん(90話)。

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90話「壁の向こう側へ」

 

ここで面白いのは、ロイが心から表明したであろう賛辞に対して「今度は調査兵団を担いで記事を書くといい」と皮肉で返した、リヴァイの冷めっぷりとの落差です。

リヴァイは徹底した実存主義者であり、人は不安を耐え抜かねばならない、無数の不確かで残酷な決断を耐え抜かねばならないという、ほとんど倫理観の域に達した覚悟をもっています。

兵政権が、そしてかれ自身が、今後も無数の残酷な決断を耐え抜かねばならないだろうことを、リヴァイはいつでも予期しているのでしょう。

だからかれは、他人の評価によってブレることがない。逆に、かつて体制に追従していたブン屋には真実を追う覚悟がどれほどあるのかと、皮肉の一つでも言って涼しい顔をするのです。

 

他方のハンジさんは、やはり心の底では評価を欲しているのでしょう。

兵政権が、そしてかのじょ自身が、正しい道を歩んでいると他人に同意してほしいのでしょう。

だからといって、ハンジさんの信念を脆いと非難できる人がいるでしょうか。

人間みな、そんなものです。むしろハンジさんは、平凡な人間よりもはるかに強い信念をそなえています。

覚悟ガンギマリすぎるリヴァイと比べてみると、ハンジさんの秘められた願望が見えやすくなる、というだけの話です。

 

呪われたハンジ

壁外人類との共存の道を探るも、ジークの提案以外に打開の糸口が見つからずに時間だけが過ぎていくなか、それでもハンジさんは希望を失いません。

かのじょの提案は、アズマビト家に交渉を頼るのではなく、調査兵団がみずから派遣団として交渉の場に出ていこうというもの。

それこそが調査兵団の精神ではないかと、かつてのエルヴィンの言葉を借りながら、ハンジさんは仲間に訴えかけます(108話、および72話も参照)。

だから… 会いに行こう

わからないものがあれば理解しに行けばいい

それが調査兵団だろ?

108話「正論」

 

しかし、この最後の希望を託した試みにも失敗してしまった調査兵団

派遣中に姿を消したエレンは、単独でマーレに侵入し、ジークの計画実行のためにかれを連れ出すから支援しろと、どこからか一方的に手紙をよこします。

ハンジさん自身があとで言うように、エレンが「自らを人質にする強硬策」をとったことで、かれがもつ「始祖」の力だけが最終手段であるパラディ島には「選択の余地なし」でした(105話)。

 

こうしてエレンとジークを連れ帰ったものの、五里霧中の兵政権。

ジークの真意にも、かれの計画に乗ったように見えるエレンにも信用がもてず、かといって、遠からず壁外世界が総攻撃を仕掛けてくるのを待っているわけにはいきません。

ハンジさんはエレンの真意を聞き出そうと試みるも「他のやり方があったら!! 教えてくださいよ!!」と詰め寄られるだけで、かれの心を開けませんでした(107話)。

そうこうしているうちに、兵団のなかからエレン拘束などの情報を漏らし、エレンに従うべきと上層部をつき上げる分子が出てくる始末。

もはや兵政権は、かつてのように公開性を保つことができません。混乱を嫌って、公衆には秘密のままことを進めるようになったのです。

 

記者に囲まれ、あのピュレとロイには「姿勢に変化が」あったのかと詰め寄られるハンジさん。

立派な商人となったフレーゲル・リーブスに、辛い立場なのは分かるから、せめて「目を見て」「信じていい」と言ってくれと懇願されるハンジさん。

かれに顔を向けなおし「みんなのためだ」と答えるかのじょは、伏し目がちで自信のない表情です(109話)。

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109話「導く者」

 

情報漏洩の犯人であるフロックらに懲罰の決定を下したあと、ハンジさんの脳裏に浮かんだのは、まさにあのサネスの言葉でした。

汚れ役には「順番」がある。「誰かがすぐに代わりを演じ始める」。

「がんばれよ… ハンジ…」。

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109話「導く者」

 

この呪いの言葉は、いまやずっしりと重く、ハンジさんの背中にのしかかります。

もはやモノに八つ当たりする気力すら湧かず、かのじょは「疲れた」と、がっくりうなだれてしまったのです。

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109話「導く者」

 

それでも粘り強くジークの真意をつきとめようとするも、一足遅く、行動を開始したイェーガー派にハンジさんたちは拘束されてしまいました(112話)。

そしてついには、ハンジさんはリヴァイとともにイェーガー派に追われる身となり、未熟な追っ手を返り討ちにしながらも、身を隠さざるをえなくなります。

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126話「矜持」

 

意識の戻らないリヴァイを脇目に、ハンジさんは失意に打ちひしがれます。

あの呪いが、ついに実現したのではないかと。

自分にも、ついに「順番」が訪れてしまったのではないかと。

…たぶん順番が来たんだ

自分じゃ正しいことをやってきたつもりでも…
時代が変われば牢屋の中(126話)

 

状況を意味づけなおす奴隷

この絶望的な状況において、ハンジさんは自問したことでしょう。

真実へと向かっていたつもりなのに、いつのまに自分は真実から離れてしまったのかと。

人類解放のために働いているつもりが、いつのまに自分は排除されるべき敗北者の役目を演じさせられたのかと。

けっきょくかのじょも、無知ゆえに自由から遠ざかるよう運命づけられた「罪の奴隷」にすぎなかったのでしょうか。

けっきょくかのじょも、マクベスが人間みなそうだと嘆いたところの「哀れな役者」でしかなかったのでしょうか。

 

この諦念に、それでも抗おうとする人に拠りどころを提供するのは、やはり実存的自由の哲学でしょう。   

実存主義者なら、こう考えます。

わたしを「哀れな役者」として決定するのは、運命ではなく、けっきょく自分自身なのだと。

わたしを「罪の奴隷」として決定するのは、無知ではなく、けっきょく自分自身なのだと。

だから、わたしを不可解な運命から解放できるかどうかも、けっきょく自分次第なのだと。

 

もちろん、状況はわたしの思い通りにはなりません。

しかし状況を決定しているのは、運命でも、神の意志でもなく、つまるところ「他人の自由」なのです。

この悟りによって、わたしの自由を制限する外的限界が、消えてなくなるわけではありません。

しかし少なくとも、わたし自身を「哀れな役者」や「罪の奴隷」としてではなく、他者の自由に直面した、一個の自由な実存として、意味づけなおすことはできるのです。

そして状況を、わたしを操る不可解な力としてではなく、わたしの行為しだいで様相を変えるかもしれない不確定な状況として、引き受けることが可能になるのです。

サルトルがいう「状況=限界」とは、ざっくりいえば、そういうことを指します。

......自由は、他人の自由によって限界づけられた自由であることをみずから選ぶことによって、実感されえない限界を、自分の責任において取り戻し、これを状況のうちに復帰させる。その結果、状況の外的諸限界は「状況=限界」となる。

サルトル存在と無』第4部第1章

www.kinokuniya.co.jp

 

この事情は、文字通りの奴隷においてすら変わりません。

サルトルは断言します。「鎖につながれた奴隷ですら、その主人と同等に自由である」と。

奴隷は奴隷なりに人生のささいな楽しみを見つければよいという意味では、もちろんありません。そういう諦めの態度を、サルトルがよしとするはずはありません。

自分の境遇を不動の運命として嘆くか、自分しだいで変更可能なものと捉えるかは、当の奴隷しだいだと、かれはいいたいのです。

自分を実存的にも奴隷にしてしまうか、それとも実存的に自由であるか、その決定権を奴隷はみずからに対してもつといいたいのです。

奴隷の自由とは、鎖を断つ自由である。奴隷が選び取る目的は、かれを縛る鎖の意味そのものを照らし出すだろうということである。すなわち、奴隷のままでいるか、それとも最悪の危険を冒してでもみずからを解き放とうと試みるか。

サルトル存在と無』第4部第1章

 

自分の役割をあきらめないハンジ

「哀れな役者」のまま終わりたくない――この意地を、どんな絶望もハンジさんに捨てさせることはできなかったようです。

「始祖」の力を掌握したエレンによる、全エルディア人宛ての「地鳴らし」発動宣言。

それを聞いて、ハンジさんはある決意を抱いたようです。

覚醒したリヴァイの意志が揺るがないのを見て、その決意をかのじょは実行に移すことに決めました。

人類虐殺という空前絶後の大惨劇に、介入しようという決意を。

「蚊帳の外でお前が大人しくできる... ハズがねぇ...」というリヴァイのセリフは、よく言ったもの(126話)。

状況に強いられた役柄ではなく、状況のなかでみずから選び取った役柄を演じることが、ハンジさんにとっての自己解放なのです。

 

では、ハンジさんがあらためて選びなおした役割とは何か?

エレンの「地鳴らし」を止めること。

調査兵団長として、すなわち、各員が胸に誓った「人類の自由」という約束を存在理由とする、そのような集団を率いる者として、ハンジさんはそれをみずからの役割に選んだのでした(127話)。

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127話「終末の夜」

 

前にも述べたことですが、ここでハンジさんは「自分の判断を「死んだ仲間」によって美化するために、死者を呼び出したのではありません」。

この状況で、自分が引き受けるべき真の役割は何か?

「それを知るための方法が、彼女にとっては、死んだ仲間ならどう考えるか? と自分に尋ねることだったのです」。

 

そして、これも過去記事で論じたことですが、調査兵団の「心臓を捧げ」るという誓いは、自己犠牲を美化する国家的プロパガンダへの順応とは区別されねばなりません。

調査兵団のメンバーたちが誓いを捧げている相手は、むしろ誰でもない「人類」、すべての人であると同時に特定の誰でもない「人類」である。

かれらの「心臓を捧げよ」は、たんなる儀礼的な宣誓ではなく、個々の兵士が「人類」と、そして自分自身と結んだ約束にほかならない。

 

※ 併読がオススメ

unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com

 

この約束の実現をあきらめないこと、それがハンジさんの選びなおした役割なのです。

この選択は、言うまでもなく倫理的な選択であり、かつ実存的な選択です。

つまり、別の観点から「正しい選択肢」が導き出されたとしても、それにもかかわらず選ぶべきであり、また選ばないことができない、そのような選択肢なのです。

 

エレンだけが、人知を超える力をそなえた「悪魔」としてのエレンだけがパラディ島の希望だという、死に際のフロックの弁に、ハンジさんは反論しません(132話)。

かのじょを突き動かすのは、それでも「あきらめられない」という一念だけです。

人類の自由という約束を「いつの日か」実現するという希望を。

この約束を存在理由とする調査兵団の指導者として、その役割をまっとうすることを。

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132話「自由の翼

 

ハンジ最期の大舞台

フロックの銃撃による飛行艇の穴をふさごうとしたちょうどそのとき、山の向こうから押し寄せてきた「地鳴らし」。

修理の時間を稼がねば、一行はエレンのもとに向かう手段を絶たれてしまいます。

この決死の役割を買って出たのは、ハンジさん。

「大勢の仲間を殺してまで」「皆をここまで率いてきた」「そのけじめをつける」。

そう言い残し、そしてアルミンに団長の役目を引き継いで、ハンジさんはひとり、超大型巨人の群れに立ち向かいます。

 

しかし「けじめをつける」というのは、ハンジさん自身のもっとも深い動機ではないと、筆者は考えています。むしろ、自分が捨て駒になることを仲間に納得させるための理由づけでしょう。

その直後、盟友リヴァイに伝えたことが、かのじょの一番の動機であったはずです。

ようやく来たって感じだ… 私の番が

今 最高にかっこつけたい気分なんだよ このまま行かせてくれ

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132話「自由の翼

 

私の番」が来た。

それはもちろん、あのサネスが予言した「順番」のことではありません。

これこそ、わたしが選ぶべき役割だ。

これこそ、わたしが自由であることを証明する最期の大舞台だ。

そうハンジさんは確信したのでしょう。

 

かのじょの決意は、大衆動員のために作り出された大義やら、俗世には自由も幸福もないというニヒリズムの教えを刷り込むための信仰やら、そういうものに乗せられて自己犠牲を選ぶ者の決意ではありません。

どれほどの苦難と絶望に打ちひしがれても、ハンジさんは自己を「哀れな役者」や「罪の奴隷」としては終わらせたくなかったのです。

どれほど世界が不条理で残酷だとしても、ハンジさんは背中を丸めて世界から退場したくはなかったのです。

この世界のなかで、ハンジさんは「かっこつけ」たかったのです。

つまり、自由でありたかったのです。

 

ハンジさんにとって自分自身とは何者か。

巨人博士の役割を引き受けた、一個の実存。

団長という役割を引き受けた、一個の実存。

人類の解放という約束を引き受けた、一個の実存。

そして背中にはためく「自由の翼」を引き受けた、一個の実存。

それこそが、何にも代えがたい一個の自由な実存としてのハンジ・ゾエなのです。

 

だからハンジさんは、生きて還ってはこられないと知りつつ「私の番」を引き受けました。

最期の大舞台に向かって、かのじょは飛び立ちました。

調査兵団を率いてきた者としての責任において。

超大型巨人が列をなす圧巻の光景に、巨人博士らしい感嘆の念をもらしながら。

人類救済への戦いに仲間たちを送り出すために。

自由の翼」があしらわれたマントをはためかせて。

こうしてハンジさんは、自分自身になったのです。

あらゆる残酷な試練にもかかわらず、運命の鎖を断ち切る、解き放たれた奴隷となったのです。

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132話「自由の翼

 

最期の役目を堂々と演じ終え、仲間たちの魂と再会したハンジさん。

かのじょが死に際に見た夢だったのでしょうか。

それとも「道」をつうじて魂がつながる的な設定がはたらいたのでしょうか(137話も参照)。

どちらに解釈してもいいし、どっちだって同じことだと、筆者は考えます。

ハンジさんは、ついにあの呪いから解放されました。

ハンジさんは、ついに自分自身になれたのでした。

だからハンジさんの魂は、ハンジ・ゾエが何者であるかをよく知る仲間たちと、再会することができたのです。

「奴隷の自由とは、鎖を断つ自由である」

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132話「自由の翼

 

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