進撃の巨人・自由論

わたしは自由であるか。自由とは何なのか。深堀りすれば自由の謎が解けるマンガもあるかもしれない。

0.7.b 実存的自由の群像劇 (下) ~ 自由の哲学入門書として読む『進撃の巨人』

 

分割しました。「上」から読んでね!

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「この世に生まれてきてしまったから」

エレンはファルコに言います。

みんな「何か」に背を押されて「地獄に足を突っ込む」。

だいたいの人は他人や環境に強いられてそうするのだが、しかし「自分で自分の背中を押した奴」は、地獄の先にある「何か」を見ているのだと(97話)。 

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97話「手から手へ」

  

さらにエレンは「自分で自分の背中を押した奴」が自分だけではなかったことを知ります。

彼が「巨人の駆逐=自由の奪還」を誓ったきっかけである、ウォールマリア破壊をしでかした張本人ライナーは、自分の所業が自分自身で選んだものであることを吐露します――人格障害(解離性同一症でしょうね)に陥るほどに自分を苦しめた、逃れられない罪悪感とともに。 

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100話「宣戦布告」

 

ヴィリー・タイバーもまた「自分で自分の背中を押し」て、パラディ島に世界連合軍を送り込むことを訴えます。 

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100話「宣戦布告」

 

エレンが地鳴らしを選んだ理由は、何でしょうか。

それは、ここでヴィリーが「自分で自分の背中を押」すことを決めた理由と同じです。

彼の言葉を聞いたエレンの、諦念とも共感とも取れる絶妙な表情が、それを物語っています。

ヴィリーは吐露します。「できることなら生まれてきたくなかった」と。

でも、生まれてしまった以上、選ばないことはできないのです。

私は他の誰よりも... エルディア人の根絶を願っていました

...ですが 私は死にたくありません

それは... 私がこの世に生まれてきてしまったからです (100話)

これは、人間は生来、自由である権利をもつ(消極的自由)という宣言でも、自由に生きることが人間の生まれつきの本質である(積極的自由)という主張でもありません。

わたしが生まれたことはたんなる偶然であって、いかなる目的も本質も、わたしの生にあらかじめ与えられてはいない。

だからこそ、わたしの生に意味を与えるのは、他の誰でもない、現在しているわたし自身である。

つまり、この「私がこの世に生まれてきてしまったから」は、実存的自由の宣言なのです。

 

実存的自由の群像劇

こうしてエレンは、ライナーは、ヴィリーは、地獄に向かって「自分で自分の背中を押」しました。

彼らは、いかなる選択の余地もないように見える状況のなかで、自由に、実存的意味において自由に、行為しました。

その結果、ライナーは逃れられない罪悪感を背負い、ヴィリーは殺され、そしてエレンは地獄を壁外の人類全体に作り出します。

 

彼らだけが、この作品における実存的自由のドラマの演じ手なのか?

そんなことはありません。

主だった登場人物たちは皆、本作を「実存的自由の群像劇」たらしめる、魅力ある演者たちなのです。

 

「内地」の特権的生活にあこがれ、憲兵団を目指し、エレンを「死に急ぎ野郎」と揶揄してはばかることもなかったのに、トロスト区で巨人に喰われて虚しく命を散らした親友に報いるため、調査兵団に入ることを決意した、ジャン・キルシュタイン。 

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18話「今、何をすべきか」

 

集団生活になじむため不自然な共通語で話しながら周囲の反応をうかがう自分も、巨人への本能的恐怖にふるえる自分も振り切って、「走らんかい!!」の叫びとともに、少女を助ける兵士としての自分を選び取った、サシャ・ブラウス。

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36話「ただいま」

  

その身に「神を宿せ」という父の 「祈り」を振り捨て、「これ以上... 私を殺してたまるか!!」と啖呵を切り、私は「超悪い子」だけど「自分なんかいらない」と泣いてる人は誰だって助けたいと、みずからの心の底からの願望を吐き出した、ヒストリア・レイス。 

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66話「願い」

 

「誰か僕たちを見つけてくれ」と自分を翻弄する運命を嘆くことをやめ、「こんな地獄はもう僕たちだけで十分だ」と腹を決め、他でもない自分自身の意志で「大切な仲間」を「ちゃんと殺そうと思ってる」と宣言した、ベルトルト・フーバー。 

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78話「光臨」

 

理不尽な世界に絶望し、何もかもがどうでもよいと思っていた自分に別れを告げ、父親との再会のために「取り返しのつかない罪」を犯すことを選んだ自分にようやく責任を負うことができた、アニ・レオンハート。

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125話「夕焼け」

 

巨人にされた母親を助けるために「子供と友達を殺す」かもしれなかった自分を悔い、「母ちゃんに誇れる兵士」になるため、自分がなすべきことを選びなおした、コニー・スプリンガー。 

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126話「矜持」

 

彼らは、そして本作において実存主義的ドラマを演じるすべての登場人物は、ままならない状況に翻弄されながら、それでも自分自身を、自分自身で選び取るのです。

そうすることで彼らは、絶望に覆われた世界に一条の光を放つ特異な個となるだけではありません。

この残酷な世界においてどうすれば人は人間らしく生きられるのかを、少なくとも彼ら自身がその模範と考えるものを、身をもって表現するのです。

 

実存的自由の哲学サルトルは言います。

人は「自分の道徳を選びながら自分を作っていく」と。

さらに人は、そうすることによって「全人類を選択する」のだと。

各人はみずからを選ぶことによって、全人類を選択するということをも意味している。

人はこうあろうと望む人間を作ることによって、同時に、人間はまさにこうあるべきだと考えるような、そういう人間像を作らない行為は、一つとしてない。

サルトル実存主義とはヒューマニズムである」

 

『進撃』世界の人物たちが繰り広げる「実存的自由の群像劇」。

それは「罪の奴隷」である人間たちの、「洞窟の囚人」である人間たちの、群像劇です。

そのような人間たちが「罪」あるいは「洞窟」のただなかで、価値ある自由を、人間的と呼ぶに値する自由を、どうやったら作り出せるのか。 

それを彼らは、この「群像劇」で実演してみせているのです。

 

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