【11/8 アニメ最終話見たので、追記を2か所、書き足しました。】
ついにアニメが完結したね。
急にブログの日別PV数が15倍くらいになったから気づいたよ。
ずっと更新せずに放置していたんだけど、みんな感想や解釈を読みたくて検索しだして、この読者を選ぶややこしいブログに辿り着いちゃったんでしょうね。
「進撃」というコンテンツの力を、あらためて思い知らされます。
アニメ最終話は未見だけど、ネットでざっとあらすじを読むかぎり、筆者がとくに言い足すことはありません。アニオリ(作者・諌山の手によるネーム変更らしいですね)にも、本作の自由論にかんする解釈変更は迫られませんでした。
【追記1】ようやく見ました。一つだけ解釈が大きく変わりました。諌山の結論はエレミカでもエレヒスでもなくエレアル。【追記1おわり】
でもせっかくだから、ご新規さんのために、このブログの紹介をしておこうと思います。
みんな最終話付近の考察が読みたいのだろうけど、そのあたりって、いわば「進撃の巨人・自由論」の応用編なんだよね。
それにいきなり挑戦してもらってもいいんだけど、でも最初のころに投稿した自由の哲学の概説記事を、先に読んでおいてもらったほうがいいのかも。
そのほうが、作品の最終部の哲学的考察がもっと読みやすくなるのでは?
じゃ、そういうわけで、まずは目次に目を通して、好きな記事を読んでください。
unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com
え、どれから読めばいいか分からない?
最初から順番に読めばいいじゃないですか。1日1本で、81日つぶせますよ。
哲学書一冊にチャレンジする労力に比べれば、ちょろい、ちょろい。
... 仕方ないなあ。
本ブログに出てくる哲学的自由論をもっとサクッと知りたいんだよー、という人向けのおすすめ記事をピックアップしましょう。
筆者の解釈では、この作品は「実存的自由の群像劇」です。
だからまずは実存的自由とは何かを、エレンの葛藤とリヴァイの生きざまから読み取ってみてください。
人間には自由でないことはできない。
人間には選ばないことはできない。
「人間は自由の刑に処されている」by サルトル。
女型の巨人襲来のエピソードに読み解く、実存的自由の哲学。
unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com
自由とは、不安から目をそらさず、不安を生き抜こうとする倫理的態度。
「無意味なものを無意味なものとして扱え」
「たえず決断を改めよ」by キルケゴール。
作中随一の実存主義者リヴァイに学ぶ「悔いなき選択」の哲学。
unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com
じゃあ自由の対極って何? 逃れられない運命?
未来が分かってしまうエレンは、自由の奴隷?
いいえ、そんな薄っぺらい皮肉を言って、分かった気になってはいけません(アニメ版でエレン本人に自分をそう呼ばせたとしてもね)。
哲学者によれば、自由と必然性は両立するのです。
「人間が原罪〔≒宿命〕を負っているとは、人間が自由意志をもっているということ」by アウグスティヌス。
「永遠の必然性を認識する賢者の心は自由であり、つねに真の満足を得ている」by スピノザ。
未来が視えてしまうエレンの「自由意志」とは何かを照らし出す、必然性としての自由の哲学。
unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com
「世界は残酷」というニヒリズム。
耐えきれないほど無意味な現実から逃避するかわりに、どうすれば世界を積極的に意味づける自由な能動者になれるのか?
「退かぬ! 媚びぬ! 顧みぬ! だがそう意志したのはわたしだ! だからわたしはそう意志するであろう!」by ニーチェ。
ミカサとエレンの会話から読み解く、反ニヒリスト的な「力への意志」の哲学。
unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com
あ、あと反ニヒリズムを理解するためには、ニーチェのニヒリズム論もちゃんと読まなきゃね。
「人間はなにも欲しないくらいなら、いっそ無を欲する」by ニーチェ。
unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com
しかし、すべての根拠をみずからに置く自由な意志は、他の自由な意志にたいしてどう向き合うべきか?
意志が自分自身に立てる「法」を、普遍的な、他者の自由に通じるものとするためには、どうすればいいか?
「わたしにも君にもそなわる人間性を、手段としてのみならず、つねに同時に目的として用いよ」by カント。
でもエレンは、自己と他者を対等に自由だと認めていたからこそ「地鳴らし」で他者を踏みつぶすしかなかった?
カントの倫理学で考える、わたしの自由と他者の自由との関係。
unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com
サルトル、キルケゴール、スピノザ、アウグスティヌス、ニーチェ、カントと、これくらい押さえておけば、エレン周りで展開する自由というテーマはじゅうぶん理解できるのではないでしょうか。
え、こんなにたくさん? すごく重そう?
いやーそんなことないですよ。とってもわかりやすく説明していますよ。
「進撃」のストーリーで、このそうそうたる顔ぶれの哲学的自由論が分かるなんて、しめたものじゃないですか。
まずは軽い気持ちで読んでみて。
そのあとで興味があれば、ぜひ第5章と「結語」に進んでみてください。
アニメ版最終章あたりの部分を、集中的に考察しているので。
unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com
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【追記2】「結語(下)」ではこう書きました。
「巨人が消滅しただけでなく、調査兵団がついに「理解できないものを理解しにいく」任務を完了したから、もう立体起動装置は必要なくなったんだなって。」
ここ、諌山のネーム変更にあわせて解釈が変わりますね。
・ミカサが立体起動装置を外すシーンは描かれなかった。
・アルミンが立体起動装置を外すシーンは、アングル変更で、たんに武装解除している印象になった。
・数年後、アルミンらが平和大使として船でパラディ島に向かうシーンで、アルミンが自分たちをなおも「夢見がちで諦めの悪い」調査兵団だと呼んでいる(ついでに元マーレ戦士ライナーがジャンとコニーにひけを取らないドヤ顔をしている)。
これらの点から、アニメ版のアルミンたちは「地鳴らし」完遂阻止により調査兵団としての使命を終えて別の役割を引き受けたのではなく、今も「調査兵団」スピリットを抱きながら巨人なき後の世界で人類解放のための戦いをつづけている、と解釈できます。【追記2おわり】
でもでも、筆者的によく書けてるなーと思うのは、ライナーとサシャとハンジさんの投稿なんだよね。こちらもお勧めです。
サシャの記事では、ルソーの自由論も読めるよ。
unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com
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以上、本ブログの紹介でした。
新しい記事は書かないよ。もうネタ切れなので。
たまたまこのブログが気になってしまった「進撃」ファンが、哲学にも興味をもってくれれば望外の喜びです。
もし機会があれば、またいつか。