進撃の巨人・自由論

半分は哲学の解説ブログ、半分は作品の考察ブログ(最近は3:7くらい)。

5.8.a なぜエレンは過去に干渉するか、または時間の「状況」化 (上) 〜 自由になることと人間であること

 

unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com

 

うわーぜんぜん終わらんな、このブログ。

それでもまあ、3月中には書くべきことは書ききれるかと。

 

過去に干渉するエレン

未来予知の能力を得たエレンは、そのことによって必然性に支配されたわけではないということを、過去記事で明らかにしました。

unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com

 

むしろかれは、必然性を知るがゆえに自由であり、しかもそれでいて、状況を引き受け、意味づける自由な実存であることをやめたわけでもありません。

スピノザ的意味でもサルトル的意味でも、エレンは自由なのです――それがどれほど大きな災厄をもたらす自由であるとしても。

 

さて、本記事では逆に、時間を超越する能力を手に入れたわりには、エレンの自由は大したことのないものだ、という話をします。

「始祖」の絶対的な力を得たあとですら、エレンの自由は、通常の人間の自由に課された制約を、すなわち、状況という制約を、少しも超え出ることがないのです。

 

エレンは未来予知に留まらず、過去に干渉する能力をも手に入れました。

進撃の巨人保有者がもつ、過去の保有者に「未来の記憶」を送りこむ能力のことではありません。

より直接的に、過去に干渉し、過去のできごとを変更する能力のことです。

どうやらエレンは「道」に入ったことで、そして始祖ユミルの協力を得たことで、過去への干渉すらできるようになってしまったようなのです。

 

過去を変えてしまうなんて、まるで全能の神のそれのごとき力です。

ところが、人間に許された自由の域をはるかに超える絶大な力を使って、エレンは何をしたか?

過去を、そうあったとおりに決定する――ただそれだけです。

しかも、そのあとに「仕方が無かったんだよ...」なんて、泣き言をいう始末(139話)。

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139話「あの丘の木に向かって」

 

なぜエレンは、過去を思いどおりに変更しようとしなかったのか?

あるいは、なぜそうできなかったのか?

この謎を解き明かすことが、本記事の目的です。

 

過去の父親に語りかけるエレン

まずはエレンの過去干渉能力がどんなものかを、作品中の手がかりから推定しましょう。

作品のストーリーの順序で、はじめてエレンが過去に干渉したのは、かれがジークとともに「道」に入ったあと、ジークが掌握した「始祖」の力により引き込まれた「記憶の旅」においてです(120話)。

エレン出生以降のグリシャの記憶を辿るなか、ある時点でグリシャは、ジークに見られていることに気づいているようなそぶりを示します。

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120話「刹那」

 

これはエレンにも、そしてジークにも、意外なことだったようです。

ジークが意図したのは、グリシャの過去をエレンに見せることだけでした(というより、グリシャが毒親のままだったはずだとジーク自身が確かめたかったのでしょうけど)。

 

さらにグリシャは、エレンに「地下室」を見せてやると予告した、あの第1話の場面で、未来からかれを観察しにきた大人のエレンをガン見しているのです(121話)。

第1話でグリシャの表情を作者が描かなかったのは、このシーンの伏線だったのか! ギャー!

(たまたま当時は表情を描かなかったのを、あとで偶然うまい演出として結びつけることができた、ということかもしれませんけど。)

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121話「未来の記憶」

 

このシーンをよく見てください。

グリシャは明らかにエレンに気づいている表情だし、エレンもかれの視線を自分の視線で受けている様子。

かれらはおたがいに意識しあっているのです。

このときエレンは、自分が過去のグリシャを観察しているだけでなく、グリシャに干渉できるということを、すでに察知しているようです。

 

だからこそ、あのレイス家との対決の場面で、グリシャが戦意を喪失したとき、エレンはすこしも動揺しなかったのです。

そんなはずはないと驚くジークをしり目に、エレンは自然な動きでグリシャのそばに身をかがめながら、自分の父親に語りかけたのです(121話)。

何をしてる 立てよ 父さん

忘れたのか? 何をしに ここに来たのか?
犬に食われた妹に 報いるためだろ?

復権派の仲間に ダイナに クルーガーに
報いるために進み続けるんだ
死んでも 死んだ後も

これは 父さんが始めた 物語だろ

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121話「未来の記憶」

 

いやー改めて、この息子、怖すぎでしょ。

 

「始祖」の能力を乗っ取ったエレン

でも、どうしてエレンはグリシャに干渉できたのでしょうか?

「進撃」の能力、つまり「未来の記憶」を過去の継承者に送り込む能力ではなさそうです。

記憶ではなく、言葉そのものを届けているのですから。

しかしながら「始祖」の能力でもなさそう。

まだここでは、エレンは「始祖」の力を掌握していませんでした。

むしろ、このとき「始祖」の力を操っていたのは、レイス家の「不戦の契り」を無効化し、エレンを「記憶の旅」に連れていったジークであったように見えます。

 

明確に答えが描かれてはいないので、推論するしかありません。

大前提として、ジーク(王家の血)+エレン(「始祖」持ち)=「始祖」の能力が発動。

問題は、誰がどうやって「始祖」の力を行使するかです。

 

当初、力の支配権を手にしていたのがジークだったことは確か。

かれ自身がそう言っていましたし、現に始祖ユミルはジークの命令に従って、偽物の鎖を作ったり、エレンを鎖で縛ったりしていたからです(120話)。

このことから、次のように推論できます。

すなわち「始祖」保有者が能力を行使するためには、その精神がまず「道」に入り、次に始祖ユミルに命令する、という段階をふむ必要があるのではないでしょうか。

現実の時間では一瞬のことですが、当人の精神的経験においては、それなりに手間のかかりそうなことです。

 

さらに推測すれば、このことを利用して、初代「壁の王」カール・フリッツは「不戦の契り」を施したのではないでしょうか。

つまり、後の「始祖」継承者たちが「道」の世界に入ったとき、そこでかれらの意志を縛れるように、カール・フリッツは「始祖」の力を使って、なにかを仕掛けたのです。

でも、その「不戦の契り」の効力すら、絶対的ではなかったのでしょう。

だからこそ、ジークは「気の遠くなる時間」をかけてであれ「不戦の契り」を無効化することに成功したのです。

本人の弁によれば、王家の血筋をひきながらも、歴代の「壁の王」=レイス家の思想には染まっていなかったジークには、それが可能だったのでした。

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120話「刹那」

 

ところが、ジークが「始祖」の力を使って開始した「記憶の旅」において、過去のグリシャが、ジークに気づいているような行動をとりはじめます。

先に述べたとおり、これはジークにも、エレンにも、当初は意外だったようす。

なぜこんなことが起きたか?

「始祖」以外の力が働いたと見るべきでしょう。どうやらジークは、一応は「始祖」の力を支配していたようなので。

まったくの推測でしかないですが、これは「進撃」の能力が「始祖」の能力に干渉して引き起こしたイレギュラーな効果だったのではないでしょうか?

「始祖」以外では唯一「進撃」だけが、時間を超越する能力をもっています。

もともとは過去の継承者=グリシャに記憶を伝える能力だったわけですが、ここでは「始祖」の力との相乗効果で、グリシャに対してさらなる干渉ができるようになった、といったところでしょう。

このときエレンは、いわば「始祖」の力を乗っ取ったのです。

 

エレンが最初から、意図的にそれを引き起こしたようには見えません。

でも、きっとかれはすぐに、そういうことが可能なのだと認識したのでしょう。

そうでなければ、グリシャとレイス家との対峙の場面で、あらかじめそれが可能だと知っていたかのように、エレンはグリシャに語りかけたりはしなかったはず。

 

もしそうだとすれば、過去のグリシャがこんどはジークと意志疎通できるようになったこともまた、エレンが意図的にそう仕向けたとしか考えられません(121話)。

まずグリシャは、その場にジークもいるだろうと推測して「いるんだろ?」「お前の望みは叶わない」などと、一方的に声をかけるだけでした。

ところが次の瞬間、グリシャが驚きに目を見開きます。

とつぜん見えるようになった未来のジークにグリシャは語りかけ、さらには再会した息子を抱きしめさえしたのです。

しかもその背後には、挑発とも侮蔑とも、あるいは哀れみともとれるような、なんともいえない暗い視線をジークに注ぐエレンの姿が。

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121話「未来の記憶」

 

なぜエレンは過去のグリシャをジークに対面させたのか。

もちろん、ジークの意志を挫くためでしょう。

エレンもまた自分と同じように父親に虐待されただろうという、ジークの強い思い込みを見て、エレンはジークの本質に気づいたのです。

つまり、父親グリシャに対する哀しくも歪んだ執着を利用して、ジークの動揺を誘うことができると踏んだのです。

まあ図には当たったものの、それでもジークの意志を完全に萎えさせるところまではいきませんでしたが。

 

とにかく、そういうわけでエレンは「始祖」の力を掌握せずして、過去に干渉することができたのでしょう。

 

過去をそうあったとおりに決定するエレン

ところで、過去の父親に干渉したエレンは、それによって何を達成したのか。

過去に生じたとおりのことを生じさせただけです。

つまり、父親グリシャがフリーダを喰って「始祖の巨人」を奪うだけでなく、幼子たちを含めたレイス一族を、ロッド以外みなごろしにするという結果を、生じさせたのです。

 

グリシャにそうしてもらわねばならなかったのは確か。

別のエピソードでエレンが言っていたように(115話を参照)、他の子供たちが生き残っていれば、かれらの誰かによってエレンは「すんなり」喰われ、レイス家に「始祖」を奪い返されたことでしょう。

(この点についても考察してみたのですが、長い脱線になってしまうので、本記事のに回します。)

 

裏を返せば、グリシャがそうしていなかったら、エレンが生き残り、ジークとともに「道」に入る未来はなかったでしょう。  

というより、そもそもエレンが「進撃」とともに「始祖」を継承することすらなかったはず。グリシャが戦意喪失したままなら、フリーダに返り討ちにされたでしょうから。

だとすれば、エレンが「記憶の旅」でグリシャに語りかけようが語りかけまいが、グリシャがフリーダを喰い、ロッド以外のレイス一族を滅ぼしていたのでなければ、辻褄が合いません。

 

つまりエレンの過去干渉は、どう考えても余計なことです。

だってそれは、あってもなくても違いのないはずの行為なのだから。

それは、すでに生じた出来事をそうあったとおりに決定するだけの行為なのだから。

それは、因果の時間的連鎖には影響を及ぼさない行為なのだから。

 

なぜエレンの過去干渉は、過去を改変しないのか?

それにもかかわらず、エレンが過去に干渉することには、いったいどんな意味があるのでしょうか?

 

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註は別記事に移しました。

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