進撃の巨人・自由論

半分は哲学の解説ブログ、半分は作品の考察ブログ(最近は3:7くらい)。

0.9.b わたしは他人とともに自由でありうるか (中) ~ 自由の哲学入門書として読む『進撃の巨人』

 

「上」から読んでね!

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「君のどこが自由なのか」

おさらい。

エレンの「戦わなければ勝てない 戦え」は、彼が自分自身に立てた自由の掟

敵が巨人から島外の人類へと変わった後も、エレンはこの掟を貫いた。

カント的意味における自由の掟(無条件の掟=定言命法)として。

誰が、いかなる状況においても実践すべき「普遍的立法の原理」として。

ところが彼にとって、この掟の実行手段は「地鳴らし」=島外の人類みなごろし

 

こうして、よく言えば覚悟ガンギマリ、悪く言えば視野狭窄に陥ったエレン。

彼の意志は、カント流に言えば、自己立法する自由な意志です。

でも「地鳴らし」を遂行するエレンは、実際のところ、それほど自由に見えるでしょうか?

 

胸のうちに秘めた計画を実行するために、エレンは自分がもっとも大事に思っている仲間たちを危険にさらし、そのせいでサシャは命を落としました(105話)。

さらには、彼自身が(一種の演技だったとはいえ)みずから仲間を傷つけたのです(0.8.b)。

そして、いよいよ「地鳴らし」を開始したエレンは、いよいよ人格障害ぎみになってしまいます。

踏みつぶされる人々に「ごめんなさい...」と心のなかで唱えながら、同時に「自由だ」「たどり着いたぞ この景色に」と、自由を全身に感じるエレン。幼児退行しながら(131話)。

もう後戻りができない彼は、自分を追う仲間たちに「オレを止めたいのなら オレの息の根を止めてみせろ」と言い放ったのでした(133話)。

 

みずからの選択にがんじがらめに縛られ、我を失ったかのようなエレン

このような状態にあるというのに、彼の意志を「自由な意志」と呼べるでしょうか?

むしろ、アルミンのように「質問」したくはならないでしょうか。

君のどこが自由なのか」と(134話)。

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134話「絶望の淵にて」

  

みずから立てた「戦え」という掟に従うエレンは、形式的には、つまりカントが設けた形式的定義(みずから立てた普遍的立法の原理に従う意志)によれば、自由、自律、自己決定の状態にあります。

でも実質的には、どうでしょうか?

自分の意志を貫きとおすために、エレンは自分自身の人格をなかば破綻させ、精神的な自己支配をなかば失ったのでした。

どれほど多くの命を踏みつぶし、どれほど自分自身を壊しても、彼は後には引けなくなってしまいました。

まさに文字通り、エレンは自縄自縛に陥っています。

以前に「自由の逆説」という語を用いましたが(0.6)、まさにここでも、自由の逆説が生じていると言えます。

形式的に自由であることは、実質的な自由をともなうとは限らないのです。

それでは、自由であろうとして自縄自縛に陥ったエレンは、どうすれば彼自身から解放されることができるのでしょうか?

 

ミカサは自律的か他律的

誰がエレンを解放したかといえば、それはミカサです。

しかしそのために、まずはミカサが、エレンから、そして彼女自身から、解放される必要がありました。

というのも彼女は、エレンの「戦え」という掟を共有していたからです。

 

ミカサに「戦え」という掟を与えたのは、つまり彼女の立法者になったのは、エレンでした。

二人の衝撃的な出会い、すなわち、ミカサを拉致した人身売買業者の男たちを殺す場面において、エレンは最後の一人に捕まり、首を絞められるなか、ミカサに命じました。

戦わなければ勝てない 戦え」と。

これはミカサにとって、啓示のようなものでした。

エレンの「戦え」を引き金に、アッカーマンの戦闘能力に覚醒し、誘拐犯を殺し、エレンと自分を救ったのです。

そして、親を失ったミカサは、イェーガー家に引き取られることが決まり、エレンにマフラーを巻いてもらいます。

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6話「少女が見た世界」

 

こうしてミカサは、エレンに二つのものを与えられました。

一つは「戦わなければ勝てない 戦え」という

もう一つは、彼が巻いてくれた、自分を暖めてくれるマフラー。

すなわち、生きる価値を感じさせてくれる美しい思い出

 

時は進み、トロスト区防衛戦。

ミカサは、エレンが巨人に喰われたとアルミンから聞き、動揺を抑えきれずに立体起動装置のガス切れに気づかず、絶体絶命の状況に。

一度は死を覚悟したものの、かつてエレンに言われた「戦え!!」を思い出したミカサは、ここで死んだら「あなたのことを思い出すことさえできない」と、あきらめずに最後まで戦う覚悟を決めたのです。

そのとき、巨人と戦う巨人――エレンの「進撃」――が現れ、彼女を救ったのですが。 

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7話「小さな刃」

 

ここでミカサを諦めから救ったのは、エレンが彼女に与えた二つのもの、すなわち「戦え」という掟と、美しい思い出でした。

「戦え」はエレンの掟ですが、ミカサもまた、この掟を自分の意志でみずからに課しているように見えます。

つまり、ここでミカサはエレンの掟に自分自身の同意を与え、これを自由な意志において実践したということです。

彼女の最後まで戦おうとする意志は、カント的意味で自律的だったということです。

 

しかし、はたして完全にそう言い切れるでしょうか? 

ミカサにはもう一つの掟、もう一つの行動原理があります。

それは、エレンのために行動することです。

上のシーンでミカサが「戦え」と自分を奮い立たせたのも、エレンが残した思い出に忠実であろうとしたからでした。

ミカサはこの行動原理を、子供の頃から、そしてエレンが巨人化の能力に覚醒した後にも、あらゆる状況のなかで貫いています。

 

そうだとすれば、ミカサにとって「戦え」という掟は、実のところ、エレンのために行動するという彼女の根本的な掟と合致するならば、そのかぎりで従うべき掟ということになります。

つまり、それは条件つきの掟仮言命法)なのです。

 

エレンはミカサに「戦え」と、自由を奪おうとする敵に屈するなと、掟を与えました。

しかしミカサ自身は、この掟を「エレンのために戦え」という掟として引き受けたのだと言えます。

特定の「誰か」のために貢献せよという掟は、普遍的な立法ではありえません。

この掟に従う意志は、この「誰か」に従う意志でしかないからです。

だとすれば、ミカサの意志は結局のところ他律的ということになります。

 

ミカサの動揺

やがてエレンは、仲間たちのもとを離れ、ジークの計画に従うかのように行動しはじめます。

ミカサの生きるよすがである「マフラーを巻いて」くれたエレンとは、まるで別人のようにふるまいはじめたのです。

 

この段階においてミカサは、エレンに与えられたもう一つのもの、すなわち「戦え」という掟を、以前のようには理解できなくなっています。

マフラーを掴み、うつろな目で、彼女は「勝てなきゃ死ぬ... 勝てば...生きる」と、エレンの言葉を繰り返します。

その意味が何かを自問するかのように。

理解できない命令を、自分の心に刻み込もうとするかのように。

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106話「義勇兵

 

その頃、エレンは同じ言葉を、自分自身に語りかけていました。

ほんのわずかな心の迷いすら打ち消そうとするかのように。

この掟によって自分を完全に制御しようとして。 

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106話「義勇兵

 

ここには、ミカサの「戦え」がエレンの「戦え」とは別のものであることが鮮明に表れています。

ミカサの場合、エレンが発した「戦え」という掟に従う彼女の意志は、さきに述べたように他律的なものでした。

彼女の行動原理は、彼女の生きる意志は「それがエレンのためであれば」という仮言命法と不可分でした。

それに気づいていたからこそエレンは、ミカサがアッカーマンの本能の奴隷なのだと嘘をついてまで、彼女を突き離そうとしたのでしょう(112話)。

 

ミカサの自己解放

その後ミカサは、エレンの「地鳴らし」を止めるためにハンジさんたちに合流すると、迷わず意志表明しました(127話)。

これもまた、エレンのための行動かもしれない。

しかし、これまでのようにエレンを助けるためではなく、彼を止めるために、つまりエレンの意志に逆らって行動を起こすことを彼女は決めた。

ここでミカサは、他律的な生き方から離れ始めたのです。

彼女は、エレンから、というよりもエレンを自分の行動の尺度にしてきた従来の自分自身から自己を解放しはじめたのです。

 

といっても、ミカサの自己解放はひといきで完了したわけではありません。

エレンが説得に応じないときに彼を殺すことまでは覚悟していないとアニに見抜かれたときの、彼女の反応。

間髪入れずに、武器を手にとりながら「つまり私を殺すべきだと?」と、安定の脳筋っぷりを見せつけました。

ここではまだ、ミカサは「エレンのために」という古い行動原理から脱却できていません。

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127話「終末の夜」

 

その後もミカサは、最後の最後まで、自分を解放することができずにいました。

エレンの巨人をアルミンが「超大型」の爆発で砕くも、飛び出してきた例のアレ(「有機生物の起源」だかハルキゲニアだか)によってエルディア人がみな無垢の巨人にされてしまうという、あの大惨事に至っても。

この期におよんでミカサの脳裏によぎるのは、エレンと二人での逃避行の先にたどり着いたかもしれない、もしもの世界(138話)。

そこにいるエレンは、ミカサが再会したいと望んでいる、彼女に生きる価値を感じさせてくれた、優しいエレン。

しかしミカサは、かつてエレンからもらったマフラーを、彼自身に「捨ててくれ」と言われてしまいます。

(たぶんこれは、ミカサの精神世界にエレンが「始祖」の力で介入した的な展開だったのでしょう。そこらへんは細かく考察しませんし、その必要もありません。)

 

このとき、ようやくミカサは理解したのでしょう。

エレンの真意を。

ミカサに彼女自身を解放してほしい、つまり、エレンのためではなく彼女自身のために生きてほしいという、エレンの願いを。

そして、そう望むエレン自身が、みずからの「戦え」という掟に縛られ、自分を解放できずにいるということを。

 

エレンの真意を知ったことにより、ミカサにおいては、自己解放と、彼女がエレンを彼自身から解放してあげることが、同じ一つのことになりました。

ミカサは「マフラーを捨てて自分のことは忘れてくれ」というエレンの願いを「できない」と拒否します。

彼女はエレンへの想いを実現するために、彼の意向をはねつけました。

エレンにもらったマフラーを巻きなおし、エレンの首を斬り、彼に口づけしたのでした(138話)。

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138話「長い夢」

  

エレンの首を斬ったことは、彼への想いを断ち切ることではありませんでした。

エレンのために生きる他律的な自己を放棄し、自分自身のために、みずからの意志で彼を愛する自由な自己を選び取るために、ミカサはエレンを斬ったのです。

この行為によって、ミカサはエレンを救済し、同時に自分自身を救済しました。

エレンを斬ったことにより、ミカサはエレンを彼自身の掟から解放したのです。

そして、そのエレンを自分のものにしたことにより、ミカサは自己をも解放し、自分自身のための生をようやくはじめることができたのです。

 

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