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ミカサの現実逃避と「長い夢」
エレンとの最終決戦。
仲間たちが、もはやエレンを殺さずはにかれを阻止できないと覚悟を決めるなか、ミカサだけは動揺を隠すことができません。
それでもかのじょはどうにか、一度は始祖ユミルに囚われたアルミンを救い出したことで、仲間たちが地鳴らしを止めることに貢献しました(137話)。
超大型アルミンの爆発で、粉々になった始祖=進撃。
これでもしエレンが死んだとすれば、かれに「お前がずっと嫌いだった」と冷たく突き放されたときの会話が、二人の関係の結末であったということになります。
またもや頭痛に襲われるミカサ(138話)。
ところがどっこい「進撃の巨人」が、超大型サイズで復活します。
そこからの、連載組の読者を阿鼻叫喚に陥れた展開は、わざわざ振り返る必要もないでしょう。
この地獄絵図のなか、残された仲間がそれでも戦いつづける一方で、ミカサだけは残酷な現実に耐えられずに「私達の家」に「帰りたい」と、現実逃避してしまいます。
あの「仕方ないでしょ? 世界は残酷なんだから」と割り切っていたミカサの姿は、見る影もありません(32話)。
こうしてミカサは、最終決戦の最後の局面にいたるまでずっと、状況を引き受けられないままだったのです。
しかしそのとき、現実を否定したいというミカサの願望が叶ったかのように、ミカサは静かな山奥の小屋で目を覚まします。
そこでどうやら、ミカサはエレンと二人きりで暮らしているようす。
「地鳴らし」も、あの地獄のような戦いも、なーんだ、ミカサの夢だったのか!
エレンがミカサを「嫌いだった」と突き放すルートなんて存在しなかったんだ!
やっぱりエレミカ・ハッピーエンドこそが正義だったんだ!
……というわけでもなく、このルートにおいては、マーレ潜入中にミカサがエレンに本心を打ち明け、そのまま駆け落ちしてしまったことになっています。
二人は穏やかな時を過ごしていますが、しかしそのために、もうひとりの幼馴染アルミンも含めて、他のすべての仲間を見捨ててしまったのです。
しかも、巨人能力者の13年の寿命からエレンが逃れられるわけでもないので、愛し合う二人がいっしょに居られる時間は限られています。
それでもミカサは幸福を感じられるでしょうけど、しかしその幸福には暗い影がさしています。
すべてを諦めた代償として、束の間の、かりそめの幸福が、二人には与えられたにすぎません。
それは諦念と、そして後ろめたさと表裏一体のものなのです。
目を覚ましたミカサは、まだそのことを知りません。
それにもかかわらず、自分はこんな幸福に浸っていいのかと、かのじょは不意に涙を流してしまいます。
それに対するエレンの「もう… どうすることもできないだろ…」という返答により、ミカサは悟りました。
この幸福な瞬間は、ミカサの心を捕えて離さない「あの時 別の答えを選んでいたら」という後悔が生み出した、空想の世界、もしもの世界なのだと。
こういうの、並行世界とか、ルート分岐とか呼べばいいのでしょうか?
現代のフィクション作品では手垢のついた演出手法といえますし、筆者はあまり新鮮味を感じません。
むしろこれは、並行世界でも何でもなくて、強い後悔に捕われたミカサの意識に、エレンが「始祖」の力で介入することにより作り出した、インタラクティブ(双方向的)な空想として理解すべきだと思います。
というのも、この「もしもの世界」のなかで、けっきょくエレンは現実と同じことをした、つまり「マフラーを捨ててくれ」「オレを忘れてくれ」とミカサを突き放したからです。
まさにそれをするためにエレンは、ミカサの意識に介入したのでしょう。
エレンの目的が、ミカサを突き放すこと、かのじょの後悔を断ち切ることであったのは明らか。
もしあのとき、かのじょがエレンに本心を告白していたとしても、けっきょく現実は変わらなかったはずだと、つまり、真の自由と幸福をミカサがエレンとともに得ることはできないはずだと、そう伝えようとしたのです。
どうしてもミカサは、エレンとともには幸福になれないのだと。
だから、ミカサに後悔すべきことは何もない、エレンを忘れるべきなのだと。
しかし同時に、エレンは自分の本心をミカサに告げてもいます。
もしあのときミカサがコクっていたらかのじょの愛を受け入れていただろうと、つまり、かれもまたミカサを異性として愛していると、そうエレンは伝えているも同然なのだから。
愛の等価交換の成立
こうして、空想世界でエレンと再会したミカサは、かれが本心ではミカサを愛してくれていたことを知りました。
同時に、過ぎたことを後悔しても無意味であると、この状況とは別の状況を望むことは現実逃避でしかないと、ミカサは悟ったことでしょう。
だとすれば、この状況において自分が何をすべきかを、いまこそミカサは選択しなければなりません。
「オレを忘れてくれ」「マフラーを捨ててくれ」と懇願したエレンに、いまこそミカサは、自分自身の自由と責任において応答しなければなりません。
ついに、あのマフラーをふたたび巻いたミカサ。
かのじょはエレンに応えます。「ごめん できない」と。
こうしてミカサはマフラーを、すなわちエレンに対する自分の愛情を、意味づけなおすことができました。
すなわちそれは、どれほど頑なにエレンに突き放されても、自分自身の愛情を偽りのものとして放棄することはない、という決意表明なのです。
だからといってミカサは、エレンに一方的に愛を注いでいるわけではありません。
いまやミカサは理解しています。
エレンの真意と、ミカサを思いやるかれなりの方法を。
現実に背を向けたところで、二人だけで逃げ込むことができる「居場所」がどこにもないことを。
それらのことを理解したうえで、ミカサはエレンの懇願を拒否し、かれを殺す決意を固めたのです。
それでは、みずからの手でエレンの命を断つことに、ミカサはどんな意味を見出したのか。
もちろん人類を悪夢から救うためでもありますが、同時にそれは、もはや後戻りできない道を進みつづけるエレンを解き放つためであり、またしたがって、ミカサが自由な「状況内存在」としてエレンを愛するためです。
エレンを斬ることは、かのじょのエレンへの想いが真の愛であることを、そしてミカサが自由な実存であることを、証明する行為だったのです。
※ 併せ読みがオススメ
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エレンの望みをミカサは拒否しましたが、その結果として、かれはミカサが自由になるのを見ることができたのでした。
もはやそこにいるのは「主役より強いけど主役を引き立ててくれる」系ヒロインでもなければ、エレンの「戦え」という教えに忠実な奉仕者でもありません。
「状況内存在」として、自由な実存としてひとりの男性を愛した、ひとりの自由な女性なのです。
現実逃避をやめたミカサ。
逃れられない状況のなかで、エレンの想いを受け止め、かつ自分の想いを表現するために、何をなすべきかを見定めたミカサ。
それは、みずからの手でエレンを斬ることでした。
引き返せない地獄への歩みから、エレンを解放することでした。
そうしたうえで、エレンを自分の両腕に抱くことでした。
こうして、エレンへの想いを表現するミカサの行為と、ミカサへの想いを表現するエレンの行為とは、お互いにとって、愛という同じ尊い価値をもつ行為となったのです。
若きマルクスのいう愛の等価交換が、ついに二人のあいだで成立したのです。
始祖ユミルの解放
こうして達成されたエレミカエンド。
全世界のエレミカ推しの読者は、心を揺さぶられながらも、満足と、一種の安堵とを得たことでしょう。
しかし、どんな読者よりも「エレミカ尊い」と大満足なのは、あの人、そう、始祖ユミルです。
始祖ユミルはカプ厨だった説はネタとして面白いですが、まじめに考察しましょう。
でもまあ、これは解釈が割れるような難しい話ではありませんね。
ミカサとエレンの結末は、ユミルにとっては、かのじょが生前に叶えられなかった願望の代行であり、それを見ることでユミルの魂は救われたということです。
(略して「エレミカ尊すぎて昇天した」でも、まあいいかもしれませんけど。)
すでに論じたとおり(5.4.bを参照)、ユミルは巨人の力でもって自由を手にするのではなく、愛情の関係における自由を得ることに期待をもっていました。
誰かを愛し、誰かに愛されること、つまり、対等な人間(かつ女性)として承認されること――それが奴隷ユミルの夢見た自由だったのです。
しかし、ユミルが愛を捧げた相手は、かのじょを対等な人間として扱おうというつもりは毛ほどもなかったわけですが。
では、そんなユミルが、王家の血筋であるジークではなくエレンに従うことを決めたとき、なぜかのじょ自身が地鳴らしに積極的だったのか?
エレンの呼びかけに呼応した始祖ユミルは、人類世界を破壊し尽くすことに、グイグイの前のめりの姿勢を示しました。
あのスリの少年が兄弟とともに踏み潰されるときも、その様子をユミルはじっと眺めていました(131話)。
そして、アルミンたちがエレンを止めにやってきたときには、エレンを妨害させないために、歴代・九つの巨人たちを無限に呼び出すという、難易度地獄のクソゲー展開をぶっこむほどの容赦のなさを見せたのです(135話)。
でもそれでいて、ジークが「道」にいたゆかりのある巨人保有者たちの魂を引きつけたときも、かれがクサヴァーさんや父親に感謝を表明している様子をガン見しているユミルの姿が。
アルミンいわく、それはおそらくかのじょが「繋がりを求めて」いることの表れです(137話)。
つまり始祖ユミルは、生前からの願望を、すなわち、愛をつうじて対等な人間としての承認を得たいという願いを、放棄したわけではなかったのです。
でも「世界など滅ぼしてしまえ」という破滅への意志は、承認への希望とは正反対のもの。
まあでも、これらの感情は、同じコインの裏表なんでしょうね。
誰かに愛され、同じ人間として承認されたい。
でも、この世界は承認を与えてくれない。
だったらそんな世界、否定してやる、みたいな。
他にも、いくつか疑問が残っています。
なぜ始祖ユミルにとっては、ミカサでなければならなかったのか?
自分が達成しえなかった愛情の関係における解放を、他の誰かがなしとげるのを見たいという、ユミルのこじらせたカプ厨のごとき願望を、もっと前に満たしてくれる人はいなかったのでしょうか?
条件としては、愛ゆえに盲目的になってしまうようなタイプで、しかし自分の他律的なふるまいを見つめなおし、最終的には愛する相手と対等の関係になれる女性でなければなりません。
そういう恋愛のドラマはしょっちゅう生じるわけではないでしょうけど、でも、いつだってそういう愛が成立してもおかしくないですよね。
しかし、前記事(5.1 を参照)で述べたとおり、始祖ユミルが奴隷的意識から解き放たれるには、エレンという媒介が必要だったのです。
奴隷的奉仕をやめるまでは、現世でエレミカの代わりになるような尊いカップルがいくつ誕生したとしても、ユミルはそれをみずからの願望の代行として見ることができなかったのでしょう。
「人間」どうしの愛は、自分自身をすっかり奴隷にしてしまっていたユミルにとっては他人ごとでしかなかったでしょうから。
したがって、いわば始祖ユミルのクリア条件は二つだったのです。
第一に、かのじょを奴隷的意識から解き放つこと。この条件を満たしたのがエレンです。
(その副産物が「地鳴らし」とは、とほうもなく不釣り合いな大災厄ですが。)
奴隷的意識から解放されなければ、始祖ユミルは愛する行為と隷従とを区別することができなかったでしょう。
マルクスは言いました。あなたの愛が「相手の愛を作り出す」ことがなければ、そのとき「あなたの愛は無力であり、不幸だと言わねばならない」と。
第二に、始祖ユミルの叶えられなかった願望を代わりに実現すること。
この条件は、第一の条件が満たされた後でのみ達成可能であり、それゆえにこそミカサだけが、これをなしえたのです。
始祖ユミルを奴隷的意識から解き放ったエレンとのあいだで、愛の関係をつうじた自由を達成しえたミカサだけが。
最後に見ておきたいのが、単行本で加筆された、ユミルがフリッツを助けず、娘たちと抱きしめあうシーン(139話)。
これは、ユミルが選ぶことができたかもしれない可能性を描いたものと思われます。
もしこうなっていれば、そのときユミルの意識はもはや奴隷的ではなくなっていたでしょう。
そして、自分の娘たちとの愛情の関係のなかで、ユミルは人間としての承認を得られたことでしょう。
でも、ユミル自身は生前も死後にも、こういう選択がありえたとは、つまり自分が自由に選びえたとは、気づけなかったのです。
あくまで、エレンがかのじょの意識を解放したあとで、ミカサがかのじょに救いを見せたからこそ、ユミルは自分が自由でありえたはずだと気づくことができたのです。
それはつまり、愛を求めつつも奴隷のまま世を去った悲しい亡霊ユミルに対して意味を与えることができたのは、けっきょくのところ生者であるミカサであったということ。
だから、次のような言葉をユミルにかける資格をもっていたのも、ミカサだけだったのです(139話 単行本加筆)。
「あなたの愛は長い悪夢だったと思う」
「それでも あなたに生み出された命があるから わたしがいる」
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