進撃の巨人・自由論

わたしは自由であるか。自由とは何なのか。深堀りすれば自由の謎が解けるマンガもあるかもしれない。

3.9.a 「余計者」の自由、またはライナーの救済 (上) ~ 本来の自己を選ぶ自由

 

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世界の「余計者」としてのわたし

実存主義って、平凡な「普通の」人間の自由を照射するための哲学なんだよ、という話を長々としてきました。長すぎた感もありますが、これで最後にしますので、ご容赦を。

最後はこの人、ライナー・ブラウンにご登場いただきましょう。

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42話「戦士」

 

弱さや罪を抱えもつ、ありふれた「普通の」人間が、自由に向き合い、本来の自己を生きようとすること。

それは、代えのきかない固有の存在である「わたし」が、固有の存在として、たった一人で世界に立ち向かうことを意味します。

自分は裸一貫で世界に放り込まれているのだと、気づくことを意味します。

それは人間を、とくに、われわれ「普通の」人間を、どれほど不安にさせることでしょうか。

だって、この世界のなかで、わたしはどこに辿り着けばいいのか、まったく見当がつかないのですから。

わたしの目的地わたしの居場所など、どこにも存在しないかもしれないのですから。

わたしのための場所はどこにもないと、つまりわたしは世界の「余計者」であると、そう思い知らされる破目になるかもしれないのですから。

わたしが存在しようがしまいが、世界にはまったく違いはないだろうと、そう思い知らされる破目になるかもしれないのですから。

 

もし自分が「余計者」だったら、一体どうすればいいのか?

われわれ凡人は、その答えをたとえば宗教が、あるいは偉大な哲学や文学なんかが、与えてくれるのではと期待するかもしれません。

あるいは近年はやりの「異世界転生モノ」でも読んで心を慰めるとか。

でも、もしこの問いを、実存的自由の哲学サルトルに尋ねるならば、かれはきっと突き放したように、こう答えることでしょう。

「そうだね、君は世界の「余計者」だよ、まちがいなく」と。

誰も君に対して義務など負っていない――そしてなにより、君には運命に対するどんな権利もない。いつだって、欠けているものなどない。なぜなら君は、つねに世界の余計者なのだから。

サルトル『奇妙な戦争』1939/12/4

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1939-40年のサルトルの日記(死後に『奇妙な戦争』として公刊)

 

ただしサルトルは、誰に対しても同じことを言うでしょう。

他人はおろか、自分自身に対してすら。

つまり、かれのような歴史に名を遺す哲学者や文学者ですら、世界の「余計者」であり、世界にとって居てもいなくても実は困らないのだというのです。

とはいえ、サルトルは自分を謙遜し、へりくだって見せているのではありません。

かれによれば、あなたが世界の「余計者」であるというのは、あなたが自由な実存であることと、まったく同じ意味なのです。

だとすれば、わたしが自由を自覚し、状況を自由に引き受けようと決意することは、いわば開きなおって、わたしは無価値な「余計者」なのだから自分自身の責任で好きにさせてもらう、と宣言することに等しいのです。

 

世界の「余計者」としてのライナー

『進撃』の登場人物のなかで、自分は世界の「余計者」ではないかという不安にもっとも苦しんだのが、あのライナーでした。

かれはエルディア人の母親カリナと、マーレ人の男とのあいだに生まれました。

ところが、マーレ人がエルディア人との子をもうけることは厳罰をもって禁じられているため、おそらく二人は示し合わせて、この事実を秘密にしたのです。

そのことをカリナに告げられた、幼きライナー。

母親の「マーレ人に生まれていれば...」という願いを、ライナーは「戦士」すなわち知性巨人の継承者になることで叶えようと決意しました。

そうして「名誉マーレ人」の地位を得れば、父親と一緒に暮らせるのではないかと考えたのです(94話)。

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94話「壁の中の少年」

 

しかし「名誉マーレ人」という称号は、マーレ人と対等の地位の約束では決してありません。

晴れて「戦士」に選ばれたライナーは、パラディ島に潜入し「始祖」を奪う作戦を任され、さらにはマーレ人の父親を見つけ出すこともできました。

しかし父親は、カリナやライナーとともに暮らすことを望むどころか、かれら二人から「逃げきって」やることしか頭になかったのです。

ライナーが目立つ存在になったせいで、かれの父親が誰か発覚するリスクが高まったかもしれません。それをカリナは狙ったのだと、つまり「俺に復讐」しようとしているのだと、父親はそのように決めつけたのでした(55話)。

 

この幻滅させるできごとにも挫けず、ライナーは「名誉マーレ人」になれた自分を鼓舞し、ほかの3人の「戦士」とともにパラディ島潜入作戦へと向かいます。

しかし、そんなライナーに追い打ちをかける一言が、仲間の一人、マルセルから放たれました。

実はライナーは「戦士」の選考で落とされるはずだったのに、弟ポルコを巨人継承者にしたくなかったマルセルが「軍に印象操作」して、代わりにライナーが選ばれるよう誘導したというのです。

ライナーがショックで呆然とし、マルセルが罪悪感にうちひしがれていた瞬間、日の出とともに突然、無垢の巨人が現れます。

ライナーをかばって巨人に掴まれたマルセルは、巨人化して対抗する機会もなく喰われてしまったのでした(55話)。

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95話「嘘つき」

 

作品終盤での作者・諌山による「ライナーいじめ」は、毎月ネットで話題になっていましたけど、一番ひどい「いじめ」は、ある意味これではないでしょうか。

「名誉マーレ人になる」という夢を達成したその矢先に、自分が生まれたことも、マーレの「戦士」になったことも、たまたま何かの間違いでそうなったにすぎないと、ライナーは思い知らされたのです。

わたしは生まれるはずも、名誉ある「戦士」になれるはずもなかった。

この世界に、わたしのための場所などなかった。

わたしは「余計者」だった。

そして「余計者」のまま、仲間にかばってもらえなければ死んでいるはずだった。

まだいたいけな子供に、そう告げ知らせる運命(=作者)。なんてひどいイジメでしょうか。

 

しかしライナーは、そんな作者のいじめ残酷な真実に直面したにもかかわらず、ライナーは「英雄」になることを諦めません。

指揮役のマルセルを失ったため、作戦は続行不能とアニやベルトルトは判断します。

しかしライナーは二人に食い下がり、自分は一度死んだも同然、ならばこれからは自分がマルセルの代わりになると強弁。

こうしてライナーは、誰のためでもなく自分のために、誰の命令によってでもなく自分の意志に従って、シガンシナ区の壁を打ち破り、パラディ島から「始祖」を奪う作戦を開始したのです。

「まだ終わりたくない」から。

「まだ何もわかってない」から。

無意味に死ぬこと、世界の「余計者」として終わることに、どうしても納得がいかないから(96話)。

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96話「希望の扉」

 

フランスの対ドイツ開戦にともない徴兵された1939年のサルトルは、個人が「状況内存在」として戦争に直面することの意味について、次のように書き留めました。

わたしが戦争へと投げ込まれているのは、たしかに事実性〔=わたしの自由とは無関係な事実〕のためである。しかし、わたしにとって戦争がどんなものになるか、わたしに対して戦争が露わにする表情、わたし自身が戦争のなかで戦争に対してどうになるか、そうしたことをわたしは自由に存在する意向をもち、またそのことに責任を負う。

サルトル『奇妙な戦争』1939/12/7

 

わたしが何をしようと、戦争の状況を左右することは恐らくないでしょう。

わたしは戦争という状況における「余計者」でしかないでしょう。

それでも「わたしにとって戦争がどんなものになるか」は、わたし自身の自由と責任だけにかかっているのです。

自分が「余計者」であると認めたくないライナーもまた、この自由と責任をもって、かれが命じられた戦争に、世界と自分の意味を知るための戦争という意味を与えようとしたのです。

 

罪びととなった「余計者」

だからライナーは、パラディ島の「悪魔」たちを巨人に喰わせたことの罪深さを自覚したとき、その責任が全面的に自分にあることも直視せざるをえなかったはずです。

ところが、むしろ責任のあまりの重さゆえに、かれの意識は罪悪感を忘れようとして、人格分裂をきたしてしまいました。

こんなことを言っておきながら......

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42話「戦士」

 

......このありさま。

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46話「開口」

 

マーレ帰還後、人格分裂は解消されるも、かえって罪悪感から逃れられなくなったライナー。

ふたたびパラディ島に進攻する計画が告げられたときには(95話)、発作的に自殺しようとするほどでした(97話)。

後輩の戦士候補生たちのためにと気をとりなおすも、追い打ちをかけるように予期せぬ事態が。マーレに来られるはずのないエレンが、目の前に現れたのです。

ところが、意外なことを話し出すエレン。

マーレの公式教義を叩き込まれたライナーには、あのとき他にどうしようもなかった、そんなかれの苦しみが今の自分には「わかる」と。

しかしライナーは、そうではないとエレンの言葉をさえぎります。

かれは告白します。「俺が悪いんだよ」と。

「俺は英雄になりたかった」のだと。「誰かに尊敬されたかった」のだと(100話)。

つまり、わたしは「余計者」ではなく、この世界に居場所と役目を与えられていると信じたかったのだと、だから自分の意志でマーレの「戦士」としての任務を選んだのだと、そうライナーはエレンに告白したのです。

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100話「宣戦布告」

 

自分が世界の「余計者」だと認めたくないばかりに、罪びととなった「余計者」。

ところが、そんなライナーにエレンは「やっぱり俺は お前と同じだ」と言葉をかけます(100話)。

たしかにかれの言うとおり。かつてのライナーと同様に、ここにいるエレンもまた、自分自身やパラディ島の同胞が世界の「余計者」として終わるという結末を、どうしても認めたくないと思っているのです。

だからエレンは、わたしは世界の「余計者」として、わたしの責任で好きにやらせてもらうと、あえて大罪人にだってなってみせると、そう決意を固めているのです。

 

「俺とお前のどこが同じなんだ」

でも、そんなエレンの真意がライナーに分かるのは、まだ先のこと。

エレンと調査兵団が去ったあと、ライナーは、かれらとともにパラディ島に渡ったジークのたくらみを挫くため、すぐパラディ島に攻め入らねばならないと進言します(108話)。

 

空からシガンシナ区を奇襲するマーレ軍と「戦士」たち。

マガトたちは、救出したガビからの情報をもとに、エレンとジークが接触することで「始祖」の力が発動するのだろうという推論に達します。

他方で、エレンから「始祖」を奪おうとするライナーには、エレンが「なぜ足掻く」のかがまだ分かっていません(117話)。

...というのは不正確で、エレンの目的にはライナーはうすうす感づいていて、直後にエレンとジークを接触させるなと命じられたときには、かれは「やはりか...」と思っていました(119話)。

むしろかれに不可解であったのは、なぜレベリオ区でエレンはかれとライナーが「同じ」と言ったのかです。

「もう終わりにしたい」と思っている自分と、これほどにも「足掻」くエレン。

いったい「俺とお前のどこが同じなんだ」と、ライナーは心のなかで尋ねます――単行本で大幅改変された、例のセリフですね(117話)。

 

でも、いまだライナーがエレンを理解できないのは、仕方がありません。

この時点のライナーが欲しているのは、もはやパラディ島との戦いにケリをつけることだけだからです。

最期になにか意味のある役目を果たして、少しでも罪悪感から免除されて眠りたいと、そうかれは望んでいます。

ここでもライナーは、まったくの「余計者」として終わるよりは、たとえ「罪びと」としてであれ意味をもった終わりを迎えたがっているのです。

またもやニヒリズム。「人間は何も欲しないくらいなら...」以下略、by ニーチェ

 

※ 併せ読みがオススメ

unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com

 

だからこそ、あのときライナーは、これ以上ないほど安堵した表情を見せたのでした。

すなわち、ジークを殺した(と思った)後、ジークのせいで巨人になってしまったファルコを人間に戻すため、そのままファルコに喰われようと決めたときに。

そしてまた、だからこそ、それをポルコに(ある意味で)邪魔されたライナーは一瞬、あれほどにも悔しそうな顔をしたのでした(119話)。

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119話「兄と弟」

 

unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com